
マスコミ業界回遊日誌
2008.08.30
8月25日(月)
今日は親父の命日。夕方までオフィスで原稿書き。
夜、日比谷へ「12人の怒れる男」を見に行く。
オフィシャルサイトによれば、1957年に登場した『十二人の怒れる男』は社会正義を謳いあげた法廷ドラマとしてアメリカ映画史に燦然と輝いている。もともとはテレビ番組「Studio One」のドラマとして脚本レジナルド・ローズ、監督シドニー・ルメットのコンビが生み出したもの。緊迫感に溢れた展開と計算されつくした演出が、陪審員それぞれのキャラクター設定の妙とあいまって、なによりも製作された時代の風潮が色濃く反映される構造になっている。1997年にウィリアム・フリードキンが「12人の怒れる男/評決の行方」として再びテレビ映画化するなど、<法廷ドラマの原点>といわれる所以で、この1957年作品は世界中の法廷ドラマに多大の影響を与えている。
この<法廷ドラマの原点>に新たに挑んだのは、『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』や『黒い瞳』、『太陽に灼かれて』『シベリアの理髪師』などで知られるロシア映画界の巨匠、ニキータ・ミハルコフ。ローズの脚本の骨子を忠実に活かしながらも、現代ロシア社会の抱える価値観の混乱、多民族国家ならではの偏見を鋭く抉り出し、エンターテインメントのかたちのなかに、21世紀ならではのドラマに仕上げている。
ストーリーはこうだ。チェチェン人の少年がロシア人の養父を殺害した罪で裁判にかけられる。目撃者もあり、容疑は明白。さまざまな分野から任意に選ばれた陪審員たちも審議はかんたんに終わると思われたが??。もはやオリジナル作品の時代のように、社会正義を鼓舞するほどイノセントではなくなってしまった世界を前にしながら、ミハルコフはそれでも人間に対する希望を失っていない。オリジナルでヘンリー・フォンダが演じたような確固たる信念をもった存在ではないが、それでも良心を持ち合わせた陪審員の異議から圧倒的な有罪支持派の11人が論議を尽くし、次第にそれぞれの生活、偏見、予見が浮き彫りになっていく。表面的な自由主義体制になったあげく、経済至上の風潮が跋扈するあまりモラルを失ってしまったロシアの人々の混乱、失意が、緊迫のドラマに貫かれている。
このロシア版「12人の怒れる男」を見ても思うのだが、一人の陪審員が、無罪を主張するというよりも、みんなでもっと話し合おうといいだす。事件の謎解きの部分はあまりいただけないが、一人一人が、考えはじめ、事件と係わりのある自分たちの過去を告白していくくだりはドラマチックで、見るものをとらえて放さない。
しかし、日本の裁判員制度では、こういうことが起きるのだろうかと考え込んでしまう。
日本には、まず、ディベート教育がない。相手の意見をじっくり聞き、それを咀嚼した上で、自分の意見をいうということを、子供の時からやってきていない。
裁判員制度は、裁判官と同じ立ち位置に立ち、同じ目線で、被告を裁くのだ。陪審員は、検察と被告の間に立ち、被告の盾になって、検察側の立証に誤りがないかを裁く。ここに決定的な違いがあるのだが、6人の裁判員のうち、一人だけが、有罪判決はおかしいといいだしたとき、どうなるのだろうか。
プロである裁判官も一緒に、みんなで寄ってたかって、この人間の“誤り”を糺そうとするのではないか。
そのようなところから、前向きな議論が始まるのだろうか。裁判員制度人は、陪審員制度と違って多数決だから、そのような異を唱える人間は無視して、さっさと有罪判決へもっていってしまうのだろう。 司法に国民を「動員」して、治安教育をするために行われる裁判員制度は、佐藤優さんにいわせれば、「国家が衰弱してきた証拠」だそうだが、この先にあるものは、「徴兵制」なのか。もっとみんなで議論をするべきだろう。
8月26日(火)
昼、梨元勝さんのオフィスで打ち合わせ。
夜、「週刊現代」の松田賢弥さん来る。久々に、政界の水面下の動きについて、ディープな話しを聞く。
彼と、オフィスの裏手にあるカラオケスナックで歌う。
20年一日、何の進歩もない歌を唄っている自分が、なぜか愛おしくなる。石原裕次郎、テレサ・テン、舟木一夫、三田明。
松田さんのほうは、吉幾三から始まって、いつか来た道をいつまでもどこまでも。
気が付けば12時を回っていた。スナックのお母さんのあきれた顔に送られて帰還。
8月27日(水)
早稲田放送研究会の間野友梨香さんたち来る。来春から始まる裁判員制度を取り上げて、NHKのドキュメンタリー部門に応募するのだそうだ。
裁判員制度のどこに問題があるのかを、私なりにわかりやすく話したつもりだが、ほんとに、来年の5月から始められるのだろうか。もう少し時間を取って、議論を詰めてからやるべきだと思うと、私の持論を話した。
夜、雑誌「サイゾー」で「開運!霊能マネジメントセミナー」を連載している、あいはら友子さんからインタビューされるために、あいはらさんのお宅へ伺う。
「サイゾー」の揖斐憲編集長も同席。株式評論家の天海源一郎さんから質問されることに答える。それを、あいはらさんが聞いていて、私を霊視するのだ。
あいはらさん曰く。私には、「棚からぼた餅」霊があるのだそうだ。行った先、行った先で、自分の思い通りにやって、いい思いをするのだそうだ。
最後にあいはらさんが、「元木さんてやさしい人ね」といってくれた。
ようやく、自分のことをわかってくれる人がいたと感激、感涙。終わってから、しゃぶしゃぶごちそうさまでした。小雨降る外へ出たら、2時を回っていた。
8月28日(木)
2時から、帝国ホテルで「ラブホテル進化論」(文春新書)を書いた金益見(キム・イッキョン)さんから インタビューを受ける。
彼女は神戸学院大学院の学生で、知的なものすごい美人。
その彼女から面と向かって、「ヘア・ヌードって言葉をどうして考えたんですか?」「ヘアって髪の毛のことで、陰毛のことじゃありませんよね」などと質問を受ける。このところ、杉本綾さんや金さんのような美人と、SEXがらみのことばかり話している。もっとロマンチックな話題をしたいのにね。
金さん、来年は、武蔵大学で教えるかも知れないそうだ。再会を約して別れる。
夕方、「castalia」の山脇智志さん来る。彼が、編集者の学校をポッドキャストでやってくれている。これからは、学校の授業や、講演の音声も入れて、編集者の学校を充実させましょうといってくれる。
夜、錦糸町へ行く。私の古い友人、朝倉恭司さんが、27年前からやっている「河内音頭」の盆踊り大会があるのだ。
駅前を少し歩くと、河内音頭の歌が聞こえてくる。雨も小休止で、大変な人盛りだ。
バッタリあった朝やんが泣いているではないか。事情を聞いてみると、大会運営のための資金繰りが大変なので、募金をして回っているのだが、みんな快く入れてくれるのを見ていて、泣けてきたのだそうだ。
私が頼んだ、元木の名前が入った提灯が、舞台のいい場所に飾られてあった。錦糸町、河内音頭、何ともいい雰囲気の盆踊りだが、来年できるかどうかわからないという。これほど楽しい祭りを終わらせてはいけない。そう思いながら、帰途についた。
8月29日(金)
読売新聞に「オーマイニュース」が休刊になることが出ていた。9月1日から、「オーマイライフ」と名称を変え、広告タイアップ記事を中心に、収益を上げる媒体にしていくのだが、前途は多難だとしかいいようがない。残った人たちは大変だろうなと、記事を読みながら思う。
夕方、朝日ニュースターの田渕勝雄さんたちが来て、9月9日に収録する「南海キャンディーズ山ちゃんのジャーナルしちゃうぞ!」の打ち合わせ。
夜は、四谷の炭火焼肉「鶴兆」でにんにく焼きなどを食らう。
8月30日(土)
ゴルフの予定だったが、朝6時に起きてみると土砂降り。中止を決める。二度寝して10時まで寝る。
明日からは、愛華訪中団の一員として、上海、武漢、杭洲へ1週間行ってくる。武漢は、中国でも1,2をあらそう暑いところだそうだ。
はて、北京オリンピック後の中国はいかがなっているのか。楽しみだ。

