
マスコミ業界回遊日誌
2008.09.06
8月31日(日)
12時半に羽田インターナショナルターミナルに集合。「愛華訪中団」の一員として上海へ。団長は東京電力顧問の荒木浩さん。鼓紀男東京電力副社長。笹森清前連合会長。「Will」編集長花田紀凱さんなど総勢10数人。この不思議な団体は、月刊雑誌「自由」をやっている石原萌記さんという、私の大好きな人がまとめている会で、もう8回目になる。
思想信条を超えて、日中友好を、甘い言葉ではなく、お互い、いいたいことをいいあって、その上で、よりよい日中関係を築くべきだという、石原さんの考えに共鳴した人たちが集ったものだ。
インターナショナルターミナルは立ち飲みの喫茶店のようなものしかなく、いつもなら、団結式をやるのだが、今回は、着いてからやろうと、機上の人になる。
機内で、帰ってからインタビューする真山仁さんの「ベイジン」を読む。おもしろい。中国の原発開発と北京オリンピックを絡めたサスペンスだが、今回の訪中団も、東電をはじめとして電力会社の人たちが多いために、中国の原発開発の話は自然に出てくる。
今は全体の電力の2%程度が原発だが、数年後には4,5%にはしたいという中国側の思惑は、達成可能なのか。そのとき、日本の電力会社はどの程度の役割を果たすのか。
原発に対する考え方の違いはあるにしても、ジャーナリストとして関心のあるテーマである。中国最大の問題である電力事情はどうなっているのか。北京オリンピックは乗り切ったが、2年後の上海万博ではどうなるのか。
6時過ぎに、上海のリバーサイドの幻想的な高層ビル群を眺め、10年ものの紹興酒に陶然としながら、うつらうつら考えるのだった。
オープンしたばかりの世界一高いという森ビルは491メートルだそうだ。なぜこんなに高いビルを建てたがるのか。中国の為政者たちは、地上ではなく、空高く、万里の長城を築こうとしているのか。その理由は何なのか。酔いが高じてこれ以上考えられない。お休みなさい。
9月1日(月)
10時に森ビルが建てた世界一高い上海森ビル視察。これも世界一早いエレベータで100階へ。リバーサイドに立ち並ぶ高層ビルが遙か下に見える。
しかし、床を見ると、所々に窓が切ってあり、下が見えるようになっているのだ。自慢じゃないが、誰にも負けない高所恐怖症だから、一歩も前に進めない。
東京タワーもエッフェル塔の展望台にも、下が見えるように窓が切ってあるのだが、なぜそんなことをするのか。窓から外が見えるだけで十分満足するのにと、壁にしがみつきながら、そう考えた。
上海空港で、名古屋から中国へ進出したというラーメン店、「味千ラーメン」で唐辛子印二つのラーメンを食す。豚骨スープだろうか、白濁した汁につるっとしたラーメンが浮き、やや辛目。みんなの感想を聞いても、まあまあだという。
このラーメン屋、中国で上場し、中国SONYよりも利益が上がっているのだという。中国人が日本のラーメンを食らう。いと不思議。
武漢到着。中国の“火鍋”といわれる中国で1,2を争う暑いところだが、夕方のせいか、それほどでもない。
夕食後、長江の畔を散策。太極拳の組あり、フォークダンスに興じる人たちあり、熱い抱擁を交わすカップルあり。どこでも見られる光景だが、舞台のスケールが大きい。
数人で、ホテル近くの屋台街へ行く。下着からTシャツまで繊維製品の屋台がずらりと並んでいる。しばらく歩いて、一軒のまあまあのレストランへ入る。麻婆豆腐を頼むと、山椒がきいていて、とっても辛くて、うまい。ビールを、6、7本飲んで、料理三品で1000円也。
帰ってきてテレビをつけると、福田辞任のニュースに驚く。安倍に続いて、また政権を途中で投げ出すというのは、この政党が衰弱しているからだろうが、それにしてもひどすぎる。
臨時国会を12日から始めることを決め、最優先課題である、経済対策をやらなければらないときに、無責任すぎる。公明党のゴリ押しなど、福田のいうことを聞かず、物事が決められていくことにキレたのかもしれないが、大人げない。
次を麻生にするのではなく、こうなったら、一日でも早く解散して、国民に信を問うべきだ。そうでなければ、北京オリンピック後、沈むのは中国ではなく日本のほうだ。
9月2日(火)
朝から、福田辞任の話題で持ちきり。
9時にホテル出発。長江の畔にある、湖北省博物館、黄鶴楼見学。
昼、昨夜と同じ、武漢料理を食す。ここは、野菜料理が多く、ジャスミンの花などが出てくる。こんな野菜が日本でも手に入れば、中国野菜万歳!なのだがといいながら、ばくばく食らう。
午後、長江日報社を訪問。地方新聞社だが、新聞3紙、週刊誌7誌を出すという。藩社長から、IT化に日本のメディアはどう対応しているのかを聞かれる。
IT化で苦しむ日本のメディア事情を話すが、残念ながら、今のところ、いいアイデアはない。しかし、情報はタダなどとあきらめてはだめで、情報、その中でも、必要な情報は、金を出さなければ手に入らないということを、教育していかなくてはいけないのではないだろうか。
こちらから、失礼だが、中国の識字率が上がって、国民の7,8割が新聞や雑誌を読むようになったら、ただでさえ紙不足なのに、世界中の紙はなくなるが、そうした対策はあるのかと聞くと、まだ、農村の識字率は50%程度だし、まだそんなことを心配する状態ではないという。既に、インターネット人口が3億人を超えたというが、その大半は、ゲームなどに使っているだけで、世界を知るためにネットを使っている人間はわずかなようだ。
それと、本当に必要な情報は、何重にも張りめぐらされたファイヤーウオールのために手に入らないようになっているために、それぐらいしか使いようがないのかもしれない。
夜は、武漢市の副市長による歓迎会。長江の夕暮れを眺めながらの夕食は、景色もごちそうだった。
終わりは7時。外へ出て、武漢の夜を楽しみたいが、やることが多くて、泣く泣く部屋に引き上げる。
なんとなく疲れる。本音で話し合うこともなく、儀礼的な言葉が返ってくるだけの虚しさが、ストレスとなって、体に溜まってきているのかもしれない。
日中友好は大事なことだが、通訳を入れての片言の話し合いでは、こちらのいうことも伝わらないし、相手の本音を聞き出す術もない。
申し訳ないが、相手が誰でも、腹を打ち割って、日中の間に横たわる問題を語り合えば、少なくとも、一度の旅行で、一人や二人の友人はできるはずだが、残念ながら、表敬訪問が多く、言葉が浮ついている日中友好は、なかなか友人をつくるチャンスがない。
一夜でいい、気持ちのいい外の空気を吸いながら、ゆったりと、親しい中国の友人と話をしてみたい。そんな気がしている。おれも年をとったのか。そんなことを思いながら、冷蔵庫のビールを空けて呑む。
9月3日(水)
武漢を発って杭州へ向かう。昼、あわただしく食事をして、中国中の注目を集めているというIT企業「阿里巴巴 Alibaba.com」へ。ここは1999年にジャック・マー氏が設立した「Web上の企業間取引を提供する世界最大のeマーケットプレイス」。今や、220の国と2400万人のビジネスパーソンが利用し、昨年末に、ソフトバンクと組み日本にも上陸した。
マー氏は、2001年の「世界における未来のリーダー100人」に選ばれてもいるのだ。
1万人弱の従業員を抱え、2007年に香港の証券取引所に上場、時価総額2兆円を超えるのだそうだ。
こう書いてきて、だんだんトーンが落ちてくるのは、それにしては、日本での知名度がいまいちではないか。人数が多いのは、自らコールセンターを持ち、担当者たちは、日に200件もの企業に電話をかけ、商談を持ちかけるのだそうだ。彼らの取り分は、固定給プラス歩合。広報担当者のいうところによると、数年後には従業員を10万人にしたいという。
IT企業なのに、そんなに人数を抱える必要があるのかと聞くと、世界中に顧客を増やし、売り上げを増やしたいのだそうだが、今は、従業員は20代ばかりだから、さして給料が高くないからいいが、中国がこのまま成長を続ければ、給与水準は上がり、人員の確保も難しくなるのではないか。また、日本で、中国の食品会社などと、日本の地方の地場産業とB2Bビジネスや、B2Cビジネスも進めたいというが、先頃の餃子事件のように、中国食品への信頼は揺らいでいる。
そうした品質の保証は、Alibabaがしてくれるのかと聞くと、日本の帝国データバンクのようなものをつくって、信頼できるものを推薦するというが、大変な手間暇がかかると思うし、日中間の失われつつある食品に対する信頼を回復させるのは、なかなか難しいのではないか。
もちろん、扱うのは食品ばかりではないだろうが、ネットだけで、中国のよくわからない中小企業と、取引したいという日本の中小企業が急増するとは考えにくい。
その上、個人情報にうるさい日本では、中国の企業の名前を使ってセールス電話をかけることは至難だろう。この企業、当分は、中国国内だけでビジネスするのがいいと思うのだが、素人の取り越し苦労だろうか。
夕方、西湖の畔にある篆刻で有名な西冷(注・冷はさんずい)印社へ行く。毎回来るたびに、印鑑をつくってしまうのだが、今回も。花田さんも、部下にやるのだと、熱心に選んでいた。
早めの食事をとって、西湖の畔で、北京オリンピックの開幕式の指揮をとったチャン・イーモー(張芸謀)他二人の演出家(王湖歌、樊跳)による演劇「印象西湖」を鑑賞。五百人にもなるというダンサーと光に音響、湖水や湖岸の樹木などを組み合わせた大掛かりなファンタジー・パフォーマンス。音楽は喜多郎が担当している。水面下15センチぐらいに舞台をつくっているのだろう、見た目には、水の上で、多くの人が舞い踊り、船が行き来し、周囲の林や寺院が様々に色を変える。圧巻は、湖の中から、船の形をしたものがせり上がり、巨大な船になっていく仕掛けだ。一緒にいたテレビ関係者は、これをつくるのに数億円はかかっているだろうという。
中国恐るべし。杭州市は財政的に豊かなようだが、金に飽かしてつくったとはいわせないという覚悟と迫力に圧倒された1時間10分だった。
9月4日(木)
杭州市内を見学。昼は、小龍包を食す。この旅行を一言でいえば、「食べて、寝て、呑んだ」ということになるか。
特に昼がいけない。由緒正しい貧乏人の出だから、残すことができない。出てきなものは全部手をつけなければ申し訳ないと思う。かくして、日本いるときは、ほとんど昼は食べないのだが、中国では、昼をしっかり以上に食べてしまう。したがって、苦しくて身動きができないまま、夜の宴会になだれ込むのだ。
夕べは、6階建てのなんとか「楼」に登る。登りは、エスカレーターを使ったが、降りるときは、階段を下りる。
おかげで、万歩計を見たら、中国へ来て初めて1万歩を超えた。夜は、広州市の市長と会食。初めて会った市長は、びっくりするほどのかっこいい人だった。慎重は80センチ以上、中国人というより、アメリカの褐色系白人という感じだ。
仕草も堂に入ったもので、中国の指導者にもこういう人物が出てきたかと思わせる。彼に挨拶したとき、すごくかっこいいと話したら喜んでいた。ついでに、杭州市を日本に知らしめるために、日本に来て、テレビに出たらいいと話す。そうすれば、茶の間の中年おばちゃんたちが、挙って、杭州へ来るはずだ。
終わってからも、みんなで、その話で持ちきりだった。やはり大切なのは見かけだよな。
9月5日(金)
3時間以上かけて杭州市から上海へ、バスで戻る。飛行機の羽田・上海より時間がかかる。やれやれ。
杭州もそうだったが、珍しく上海も、夕方まで雨だった。いつも通り、昼食をたらふく食べ、楊浦地区を視察。ここは、2010年の万博までに、IT企業を中心とした「創新地区」にしたいのだそうだ。復旦大学などを抱える地域だから、人材には事欠かないし、地理的にも恵まれているようだ。しかし、大きな箱物をつくったからといって、もくろみ通りに世界のIT企業が殺到するとは思えない。
こうした開発区は、どこも緑がすさまじく美しく、隅々まできれいなのだが、いつもながら、鳥の姿は見かけない。
もし、殺虫剤をまき散らし、生態系を壊してまでも、人工的な地区作りをしているならば、本当に、人間が住む環境にやさしい場所なのだろうか。いつも、この疑問が、この国を訪れると頭から離れない。
夜はいつも通り、ここの地区の偉いさんによる歓迎会。早く終わって助かった。
今回の旅行は、例年と比べて、長く感じたのはなぜだろうか。この疑問は、日本へ帰ってからゆっくり考えるとして、ちょっと飲みに行ってくるか。
9月6日(土)
昨夜から、体調が思わしくない。風邪をひいたのかもしれない。中国は古来から、夏でも温かいお茶を飲み、ビールは冷やさない。身体を冷やすのはよくないという真っ当な考え方からだ。
しかし、電気が普及し、夏の電力消費が冬を追い越した現在、冷やすことがサービスだと思っているかのように、震えるほど寒くしているところがある。ホテルも例外ではない。ちょっと油断すると風邪をひく。
すぐれない体調のまま、機上の人となり、2時間半で羽田へ。東京のほうが、中国よりも暑い。「マガジンX」の原稿など、やることがいっぱいあるが、9時過ぎには床に入る。お休み。

