#58 嗚呼、ついに本田靖春さん逝く!

05.03.02 up

10月6日
  夕方、「リーガロイヤルホテル」内の喫茶店で素晴らしい秋空を見る。「北京秋天」ならぬ「早稲田秋天」である。
  法政大学で「マスコミ就職講座」の第一回講義。約90名の熱心な顔が並ぶ。出版、テレビ、新聞志望が各三分の一。
  9時を過ぎても質問がとぎれない。終わってから、法政大学エクステンション・カレッジの菅野俊一さんたちと一杯。
10月7日
  反骨のジャーナリスト・乙骨正生さんがやっているFM放送で、「週刊誌批評」をやるために西武池袋線の秋津まで行く。
  終わって、青山の高級家具屋で開かれている、山本容子さんの「神楽坂と版画のコラボレーション展」へ駆けつける。
10月8日
  去年も教えた西巣鴨の大正大学で「編集講義」が始まる。
10月11日
  神楽坂の毘沙門天の中の「善国寺」で法政大学教授で江戸学の第一人者・田中優子さんと評論家で落語やジャズに造詣が深い平岡正明さん、落語家の立川志らくさんたちと、「落語と江戸と神楽坂」について語り合う。
  90人以上がぎゅうぎゅう詰めになり、熱心に聞いてくれた。落語の楽しさ、落語を生み出した江戸という時代について、落語を愛した夏目漱石や吉井勇、落語家を目指した永井荷風などの文人たち、落語が似合う町・神楽坂の魅力についてなど、談論風発、楽しい会になった。
  第2部は、志らくさんの落語。「松竹梅」「藪入り」を大熱演。イヤー気合いが入ってました。
  終わって、神楽坂の蕎麦屋で打ち上げ。
10月12日
  岩波ホールで宮沢りえ主演・井上ひさし原作・黒木和雄監督の「父と暮らせば」を見る。原作は読んでいるのだが、映画もいい。その理由は宮沢りえが素晴らしいからだ。広島に住んで、原爆で父や親友を失い、天涯孤独になった娘をりえが演じ、その娘を心配して「幽霊」となって娘にいろいろアドバイスをする父親が原田芳雄だ。ほとんどこの二人だけしか登場しない。それでいて、原爆の悲惨さや残された者の悲しみが切々と胸にしみてくる。
  黒木監督の戦争三部作の最後の作品だが、見事なものだ。今年の主演女優賞は宮沢りえで決まりだろうが、彼女は日本映画には欠かせない女優になった。貴乃花というくだらない男と別れ、一皮も二皮もむけてほれぼれするようないい女になった。最近「りえママ」が出しゃばらなくなったのも凄くいい。
10月14日
  晶文社の中川六平さんと江戸川橋の「石ばし」で鰻を肴に一杯。六平さんは出がけに一風呂浴びてきたという。お互い、坪内祐三さんから「与太郎編集者」とバカにされた同類同士だが、何という話しもなく、ウダウダと盃を重ねる。
  石田千さんの「月と菓子パン」が順調に版を重ねているという。おめでとう!
  二次会は池袋の怪しいタイ料理店。中川さんと別れて池袋でうろうろしているところへ石田さんから電話。神楽坂で嵐山光三郎さんと呑んでいるが来ないかという誘い。もう、酩酊しているので「残念ですが……申し訳ない」と言って引き上げる。
10月18日
  ノンフィクション作家の魚住昭さんの会へ顔を出す。鈴木宗男とつるんでいたと逮捕された、「外務省のラスプーチン」佐藤優さんが来て「秘話」を話してくれる。
  いろいろ書きたいが、オフレコの会なのでここには書けない。
10月19日
  立川談志さんを聞く。談志さんの噺は古典落語も面白いが、まくらがいつも絶品である。
最近、談志さんがよくやるのがウイットに富んだ小咄の連弾。一番いいのが、スペインでのレストランの噺。
  スペインの闘牛場のある町のレストランで食べていた客が、他の席で出されている大きな玉のようなものが二つのった皿をみて、ウエイターに、「あれは何だ?」と聞く。すると、闘牛が行われたときしか出さないもので、殺された牛のタマタマだという。
  客が「オレにもくれ」と頼むと、数が少ない上に注文客が多いので、何日も待ってもらわないと出せないと言う。
  そこで客は、滞在を延ばして、当日、意気揚々とレストランへ来て、今か今かと待っている。そこへ、「お待ちどうさま」と出されたのは、大きな皿の上に小さなウズラの卵のようなものがふたつのっているだけなのだ。
「これ?これじゃなくて、ほれ、こないだの大きなやつ。これは違うんじゃないか?」
  すると、ウエイターが、「いえ、なにね、闘牛っていうのは牛が殺されるばかりじゃないんですよ」
  これを、談志さんが話すと、何度聞いても笑ってしまう。これが芸の力なのだ。それにしても、この話をずいぶん聞いたな。
10月21日
  ヘア・ヌード・コーディネーターというと叱られるが、高須基仁さんに呼ばれて、新宿の「ロフト・プラス・ワン」へ行く。
  彼がつくった「ヘア・ヌード写真集」が出版差し止めになって怒っているので、お前も来て怒ってくれというのだ。聞いてみれば、ほとんどの写真を、様々な週刊誌に載ったものを「無断」で掲載したらしいのだ。無茶なことをやる人だ。
「ヘア・ヌード」という言葉はお前がつくったのだからここへ上がれと、壇上に引っ張り上げられ、「ダ・カーポ」の永野啓吾編集長たちとワイワイガヤガヤ。
  店内は満員で、編集者たちが多いのか、けっこうまじで聞いている。冷や汗をかきながら、今のメディア状況がいかに危険なところまで来ているかをたどたどしく話す。
  いつの時代も、権力は手を入れやすいところから介入してくる。東京都がやっている有害図書規制など、典型的な例だ。
  東京都がお墨付きを与えた監視員たちが、東京の書店やコンビニを回って、「有害」なるものを「独断と偏見」で探してくる。それを東京都の係官が見て、これまた「独断と偏見」で判断する。有害図書とされた雑誌はビニ本にして、一般の雑誌とは区別されたところにおかれてしまう。分別ゴミのようなものだ。そうしないと、置いた側が罰せられる。
  たとえば、「週刊現代」や「FRIDAY」が石原都知事のスキャンダルを追いかけていたとしようか。これまでなら、石原側がその記事を潰すには、「出版社にやめてくれと泣きつく」か「出版差し止めするぞと恫喝する」か「名誉毀損で訴える」しかなかった。
だがこれからは、「お前のところのグラビアはひどすぎるから有害図書に指定するぞ!」と脅すことができる。ビニ本化して隅に追いやられれば売上は落ちるから、出版者側は、「それだけはご勘弁」と白旗を掲げざるをえない。突っ張って欲しいがそうもいくまい。
  かくして、個人情報保護法を含めたメディア規制の法律が、国民の知る権利を奪い、気がつけば「茶色の朝」になるのだ。アー怖。
10月24日
  早稲田大学を出てから35年経ったらしい。そのOBたちを招く「ホームカミングデー」とかで、昼過ぎに早稲田へ行く。
  地方から出てくるのが多いので、ついでに商学部「ル組」の同窓会をやろうということになった。
  卒業以来初めて商学部の建物にはいる。入って右にある教職員の部屋は変わりなかったが、教室は少しきれいになっていた。学生運動真っ盛りで、授業を受けた記憶はほとんどないが、「眼つむれば若き我あり」である。
  集合した連中と連れだって、同窓会会場の高田馬場のチャンコ屋まで歩く。
  沖縄から前田、新潟から中条など35年ぶりの顔がちらほら。全部で17人が集まってくれた。
  還暦間近の男たちが集えば、話しは取り留めもなく、酒、麻雀、女での失敗談、酔うほどに支離滅裂になる。
  終わって、半数ぐらいで近くのカラオケ屋へ繰り出す。「美しい50代」「高校30年生」などをガナリ、吠えまくり、千鳥足で裏通りのキャバクラへ。カワイイ女子大生相手に、たわいもない話しをしながら、35年ぶりの夜は更けていったのだ。
10月26日
  法政大学へハンガリー首相・ジル・チーニさんの話を聞きに行く。マス研の猪坂豊一さんに席をとってもらったのだ。
  まだ。就任して間もない若くて格好いい首相にうっとり聞き惚れているうちに終わってしまった。内容はほとんど覚えていない。まあ、いいか。
10月28日
  元衆議院議員志賀節さんと久しぶりに会う。志賀さんは小沢一郎と同じ選挙区で、中選挙区のときは、小沢よりも圧倒的な力を持っていた。政治家としての力量はもちろんだが、学がある、文才がある人だ。小選挙区になり、こうした学者肌の人はなかなか当選できなくなってしまった。
  聞けば、今の武部勤自民党幹事長はの仲人は志賀さんだったのだ。武部さんというのは昔から「ああいう人だったんですか?」と不躾な質問にも嫌がらず、ていねいに答えてくれる。器としては、志賀さんのほうが武部さんよりも幹事長、否、小泉さんよりも総理にふさわしいと思うが、そうはいかないのが永田町であり、世の中である。
11月2日
  評論家の福田和也さんと、評判の中野の寿司屋「さわ田」で懇談。この店、5脚しかないので、一日二回の入れ替え制だ。われわれは6時からの席。
  山本益博さんが、開店当初から「中野に凄い寿司屋があるからいってみなさい」と喧伝した。一見、三好清海入道(古い言い回しだね)のような男が一人で全てを切り盛りしている。ちょっと見は声をかけずらいが、笑うと愛嬌があって、話しぶりも仕事もていねいだ。
  味にうるさい福田さんも、酒、器、つまみ、もちろん寿司も申し分なしとのこと。
  雛には希なこの店も12月から銀座に移転するという。しかし、そこも7席ぐらいしかないというから、予約は取りにくいんだろうな。
11月3日 
  新宿で開かれた嵐山光三郎さんプロデュースの「立川志らくの会」へ行く。柳家家禄さんがゲストで、嵐山さんと三人の座談会もある。
  座談会では嵐山さんがいい味を出して二人をのせていく。座談の楽しさを十分味わったあとに二人の競演。お爺ちゃん譲りの「時そば」を家禄さんが熱演すれば、志らくさんも古典を熱演。やっぱり志らくさんは、シネマ落語より古典落語がいいと思うのは私だけだろうか。
11月5日
  元みずほ銀行の名広報マンで今は企業小説の売れっ子作家、江上剛さんと対談。
  キャッシュカード盗難事件が頻発するのに、何も保証しない銀行のおかしさから大手銀行が抱える問題点まで、話は尽きない。
  江上さんは第一勧業銀行時代から知っているが、今時珍しい「男気」のある人だ。頼もしい高杉良さんの後継者が出てきた。
11月7日
「オール・アローン」の石塚孝夫さんが主催する「FUJITU JAZZ FESUTIVAL」を聞きに行く。大ホールで聞くビッグ・バンドジャズはいい。
  ジャズに酔い、今夜はビル・エバンスの「ALONE」でも聞きながら眠ろうか。
11月8日
  赤坂で『週刊現代』編集長の出樋一親編集長と一献。まだ試行錯誤が続いているようだが、彼の天性の明るさとバイタリティーがあれば、局面は打開できるはず。好漢の飛躍を期待するよといいながら、後は朧。
11月9日
  弁護士の横山康博さんたちと一足早い「忘年会」。要は何でもいいから呑もうということだ。西麻布の秋田料理の店「能代」で日本酒をグイグイ。珍しく横山さんが銀座へ行こうと言い出す。騎虎の勢い。横山さん馴染みの小ていなバー「K」でカラオケ三昧。
  1時過ぎ、まだ呑んでいる横山さんに別れを告げて帰宅するが、何か二つぐらい約束したはずなのだが、思い出せない。手帖にのたくった字で判読不能なことが書いてあるが、これなんだっけ?
11月11日
  法政大学の講義にフジテレビの太田英昭さんに来てもらう。日本で一番難しいテレビ局に入るためには何をしなければならないのか。太田さんの熱の籠もった話しに、学生たちは煽られながらも真剣に聞き入る。がんばれ学生諸君!
11月11日
  名エッセイストの坂崎重盛さんが、ほぼ同時に二冊の本を刊行したお祝の会が神田明神下の「左々舎」で開かれる。やや遅れて着くと店は超満員。
  こうした会は初めてだという坂崎さんが、やや照れ気味に、われわれ参会者に気を遣ってくれる。マガジンハウスの大島さんの司会で、ゆるゆると時間は流れ、気がつけばお開きの時間。名残惜しそうに一人減り二人減り。
  人生の達人・坂崎さんの生き方の万分の一でも真似してみたいものだが、自分には無理だろうな。
11月12日
  上智大学の4年生で、来春「双葉社」へ内定が決まっている森広太くんに誘われて、出版社に内定が決まった学生たちの呑み会に出席する。
  講談社・集英社・光文社など30人以上の若者が集い、遅れて潜入した私に、なんだこのオヤジはと疑惑の目。森くんに紹介され、編集者のミイラみたいなのが珍しいのか、次々に私の前に来ては、質問をしてくる。こちとら酒さえ呑ませてくれれば、知ってることなら何でも答える。
  30数年前、自分にはこうした仲間がいなかった。10年かけて横断的な編集者の会を作っていったが、それがいまでも大きな支えになっている。現代はメールで様々なネットワークができ、情報もアドバイスも取りやすい。しかし、それが自分の仕事に生きるかどうかは、そのネットワークをどう活用できるか、自分なりのネットワークに作り上げることができるかどうかにかかっている。
  今の若い編集者たちは情報に振り回されている。情報を自分に引き寄せ、必要なものを選択し、どう編集して読者に届けてあげるか。若い編集者の卵たち一人一人に「がんばれよ!」と声をかけたくなった。
11月16日
  ニューヨークから山脇くん来る。根津で呑む。二人で夜の根津神社へ行ってみた。東京には珍しい大きな神社で、人影のない境内は心洗われる心地する。
11月17日
  法政大学の講義の後、神楽坂で毎日新聞の朝比奈豊氏と呑む。激務の編集局長から社長室長になって、少し時間ができたようで、表情が柔らかになった。これからの毎日をしょって立つ逸材。少々呑み過ぎるのが心配。この夜も、六本木までつき合えと言われて、12時過ぎまで。お互い懲りない呑んべえ同士だね。
11月18日
  国立の「せきや」でボジョレー・ヌーボーの会。嵐山光三郎さんに誘われて参加させてもらう。昨年も何十年振りのいい年だったが、今年のもかなりいいようだ。しかし、「うーん、なかなきいいんでないかい」などと言っているのは2杯か3杯目まで。後は、何を呑んでも同じ。意地汚い呑んべえにはボジョレーだろうと焼酎だろうと変わりはない。
  1時間も経たない内に全身“ヌーボー"と化す。
11月24日
  有楽町の外国人特派員協会に自民党幹事長の武部勤氏の講演を聴きに行く。案の定、ここに書くほどの内容なし。つまらんのひと言。
11月25日
  猪坂さんの会でダイヤモンド社の松室哲生さんに会う。社長間違いないと思っていた彼が、会社を辞めるという。「なぜ?」と驚く私に、いつもの飄々とした口調で、やりたいことがあるので早いほうがいいと思って、と言う。
  才能溢れる彼のこと、また違う分野で活躍することだろう。
11月26日
  12月に講談社文庫から「週刊誌血風録」を出すノンフィクション作家の長尾三郎さん主催の「フグの会」が中野の「第二力」で開かれた。
  話しは、秋に亡くなった生越さんのこと。何であんなにいい奴がと早すぎた好漢を悼む言葉ばかり。
  お互い体には気をつけようと言いながら、杯を重ねる。わかっちゃいるけどやめられねーってことですな。
11月27日
  お袋の命日。亀戸のお寺へ行って手を合わす。その足で四谷へ。日刊ゲンダイの二木啓孝氏たちと2月に開催する「司法の反動化を許すな!」シンポジウムの打ち合わせ。
  終わってから、立川談志さんの落語会を聞きに行く。「短命」すこぶるよし。
11月28日
  ゴルフコンペ「三土会」へ参加。前回は優勝したが、天気晴朗なれども波高し。前半49ではゴルフにならない。後半も46で参加賞のみ。嗚呼。
12月1日
  毎日新聞の敏腕社会部記者・小国綾子さんに法政大学の講座で話してもらう。
  ご主人も毎日の記者で、小さな子どもがいる。記者として、女性として、母親として、難役も難なくこなしている小国さんだが、私だったらとてできない。
  自分の身内をガンでなくした話しや、自分にも10年以上経たなければ癒せなかった心の疵があったことなどを明るく話してくれた。どんなに体が弱くても、心に深い疵を負ったことがあっても、そうしたものをもっている人でなければ書けない記事があるのだから、自分は病弱だから記者にはなれないなどと思わず、チャレンジしてほしいという言葉に“感動"した。   
12月2日
  早稲田大学政経学部教授・山本武利さんをインタビューする。戦時下からGHQの占領下のメディアについて研究している山本さんはこう言う。いつの時代も日本のメディアは、そのときの権力者の顔色を窺って、権力にすがって生き延びようとしてきたから、権力と対峙し批判するという歴史がない。だから、今のようなメディアになってしまったのだと。
  歴史は繰り返される、か。
12月4日
  私が司会で、うまいもの大好きな東京農業大学の小泉武夫教授と作家の嵐山光三郎さんに「うまいもの日本一」について話し合ってもらう。
  終了後、嵐山さんと秋葉原の「TOKYO TUC」へ来日中のヘレン・メリルを聞きに行く。以前、ニューヨークで聞いたよりずっといい。超満員の客の前で、ニューヨークのため息は健在だった。
12月6日
  ついに来てしまった。ノンフィクション作家の本田靖春さんが12月4日に亡くなった。以下の文章は月刊誌「マガジンX」の新年号に書いたものです。
「新年は、死んだ人をしのぶためにある、心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ」(きのうはあすに 中桐雅夫の詩より)
  本田靖春(ノンフィクション作家)さんが亡くなってしまった。'04年12月4日、享年71歳。糖尿病による合併症で10年以上も病院のベッドで過ごす生活を強いられた。発症直後に片目を失明、残った目の視力も日に日に衰えていった。数年前に壊疽のため両足を切断、今年の春には右手の指も壊疽にやられて失ってしまう。
  それでも、頭脳明晰なこと私などが及ぶところではない本田さんは、不自由な手にペンを持ち、大きな天眼鏡を使いながら、月刊「現代」の連載「我、拗ね者として生涯を閉ず」を書き続けたが、残念ながら、新年号の第46回が絶筆となってしまった。  
  本田さんと知り合ったのは、私が入社して少し経った頃からだから、30余年になる。読売新聞の敏腕社会部記者だった。本田さん手がけた連載記事、売血の危険を訴えた「黄色い血キャンペーン」は新聞史に残る名企画といわれる。
  正力松太郎読売新聞社主が表現の自由を蹂躙することに怒り、孤独な闘いを挑んだ末に、'71年、39歳で読売を離れ、フリーライターの道を選ぶ。その時期は日本のノンフィクションの黎明期と重なる。柳田邦男、沢木耕太郎、立花隆、上前潤一郎などが頭角を現し、本田さんもあっという間に売れっ子になり、「現代」や「文藝春秋」などを舞台に次々、「誘拐」「疵」「私戦」「私の中の朝鮮人」と問題作を発表する。'84年に「不当逮捕」で第6回講談社ノンフィクション賞を受賞している。
  本田さんとは仕事らしい仕事はほとんどしていない。もっぱら呑むほうのおつき合いばかりだった。新宿のゴールデン街などで、私のような青二才の“場末のジャーナリスト"に、本田さんは様々なことを教えてくれたが、その中の一つに「自分の中にリベラルの秤を持て」というのがある。時代が右を向きすぎたらその秤の重りをすこし左に、逆なら少し右に動かす。それがジャーナリストにとって大切だというのだ。今なら大きく左へ重りを動かさねばならないはずだ。
  唯一、本田さんとした仕事は月刊「現代」に連載してもらった「戦後ー美空ひばりとその時代」だったが、その中でこんなことがあった。
  当時も、美空さんが「在日」であることは、我々業界では有名な話しだった。そこで、本田さんに、そのことを聞いてくださいとお願いすると、こう返事が返ってきた。
「彼女に手紙を書いてみるが、彼女がしゃべりたくないと言ったら僕は聞かないよ。僕らに、人が嫌がることを無理矢理しゃべらせる権利はないんだ」
  取材者としても温かい人だった。
  文章も上手かったが歌も上手かった。カラオケなどない時代、居酒屋やスナックで本田さんが朗々と歌い始めると、酔客たちが静まりかえって聞き惚れた。英語の歌も良かったが、日本人ではフランク永井の曲を好んで歌った。フランク永井が自殺未遂でテレビなどに出られなくなると、「オレが代わりに出て歌ってやろうかな」とよく言っていたが、口さがない我々も頷くほど見事な歌唱力だった。
  私と本田さんを結びつけたのは、共通の趣味である競馬だった。私も高校生から競馬をやっているが、本田さんの競馬歴にはかなわない。中央競馬はもちろん、大井や川崎にまで足を伸ばし、ニューヨーク特派員時代にも、時間を見つけては競馬場に入り浸っていたのだ。
「All the way!」(そのまま!)という言い方は本田さんから教えてもらった。ちょくちょく競馬場で会う本田さんの手に、当時は「特券」といわれた千円券の束が握られていた。馬券も上手かった。
  私が「週刊現代」の編集長になった直後に、「岐路」を連載してもらった。読売新聞社を辞める前後のことと'70年のダービー馬・タニノムーティエをからめた私ノンフィクションだったが、病気のこともあって10回足らずで休載したまま、ついに再開されることはなかった。
  本田さんが守ろうと訴え続けてきた、「戦後民主主義」や「日本国憲法」が危うくなってきている。後何年か生きていて欲しかった。そう思うが、嘆いているだけでは、あの世で本田さん会ったとき合わせる顔がない。本田さんが私たちに残してくれた「ジャーナリスト魂」を引き継ぎ、我々の武器である「言葉」に磨きをかけて、「剣」に勝たなければいけない。それが残された者の使命なのだ」

 

 

#59 何もせず 老いさらばえる 年の暮れ

05.03.02 up

12月8日
  法政大学の就職講座に「TBS」の高田直プロデューサーに来てもらう。高田さんは元「文藝春秋社」にいて、私よりだいぶ年下だが、優秀な編集者だった。
  その当時は、私たちが開く「呑み会」によく顔を出してくれて、われわれオジサンたちが酔っぱらって話す戯れ言を、嫌な顔をせずに聞いてくれたものだった。
  実に真っ直ぐな好青年で、このまま「文藝春秋」でエリートコースを進むのだろうと思っていたら、ある日、「ぼく、TBSへトラバーユします」というではないか。
  もう10年以上前の話しになる。その頃は、テレビの給料もよかったが、「文藝春秋」の給料は、出版業界の中でもダントツにいいといわれていた。
  当然ながら、何も今さらテレビ屋にならなくてもと慰留したが、彼の決心は固かった。以来、TBSでは、ジャーナリストとしての彼の見識が買われ、筑紫哲也の「ニュース23」を長く担当していた。
  最近、夜から、朝のモーニングショーに担当が変わり、体を慣らすのが大変ですと話してくれた。
  活字からテレビへ移って成功した希なケースではないか。40代後半になるはずだが、いまだに真っ直ぐな好青年である。
  学生たちも、活字と映像の両方を知る彼の話を、熱心に聞いていた。 終わってから、近くの居酒屋で、昔話に花を咲かせた。
12月9日
  夜、「マスコミ情報研究会」の忘年会。今年は、猪坂豊一事務局長から司会を仰せつかったので、少し早めに四谷の弘済会館へ行く。
  この忘年会は、もう20年ぐらい続いているのではないか。「マス研」の愛称で、各社の編集者たちの横断的な組織としては(もちろん任意だが)、業界最大であろう。
  ここ10年ぐらいは、猪坂さんの人脈で、日本に来ている外国大使館の人たちが増え、会場はさながら外務省が主催するパーティのようだ。
  ここでしか会えない人たちがいる。皇室評論家の河原敏明さんなども、ご高齢なこともあって、1年ぶりにお会いした。
  河原さんの挨拶で始まり、恒例の中締めは、この会へは毎回出てきてくれる俳優の二瓶正也さんのドラ声でめでたくお開きとなる。
  終わって、近くの居酒屋で一杯。そこから、ライターの松田賢弥氏と神楽坂へ繰り込む。
  この忘年会が終わると、今年も生きて、みんなに会えてよかったと、しみじみ思う。
12月10日
  ライターの乙骨正生さんのやっているFMで、「週刊誌批評」。終わってから大正大学で講義。
12月13日
  日本青年館ホールへ、立川談志さんを聞きに行く。立川企画の松岡社長と待ち合わせ、お茶を飲んでいるところへ、イラストレータの山藤章二さんご夫妻が通られたので、ご一緒する。
  談志師匠の人気は凄い。特に若い人が、談志を“見に”来ている。相変わらずの談志節だが、体調のせいか、乗りが今ひとつ。
12月14日
  講談社のk氏に板橋でふぐをゴチになる。ここは東京農大の小泉武夫教授から教えてもらった店だが、見事な刺身とおいしいちり鍋が食べられて、私が払ったのではないが、すこぶるリーズナブルな値段だ。
  k氏とは長年、巨人対阪神で賭けをしている。もちろん私が巨人で、大阪出身の彼が阪神。一昨年までは、私が勝ち続けていたのだが、去年は大敗した。今年も、わがダメ巨人は、大きく阪神に負け越してしまった。
  シーズン終了後、カネの精算をしながら、勝った方がメシをおごるということになっているのだ。もう一人、PR会社の友人がいるのだが、体の具合が悪くて欠席した。
  板橋駅から4,5分のところだが、昔懐かしい雰囲気が漂うこぢんまりとした飲屋街で、ふぐにはもってこいの一夜だった。来年こそは、巨人が大勝して、うまいふぐをご馳走してやるといったが、無理だろうな。
12月15日
  嵐山光三郎さんに法政大学に来てもらって、話しをしてもらう。終わってから、神楽坂へ行って、嵐山さん行きつけの居酒屋で呑む。
  秋から、元赤坂の事務所を引き払って神楽坂へ事務所を構えた嵐山さんだが、何十年も神楽坂の住人だったように、この街にとけ込んでいる。町歩きの天才が選んだ神楽坂は、ブラブラ歩くだけでも楽しいし、どの横町にも、気の利いた飲み屋があるのがうれしい。
  東京で一番フランス人の多い町としても有名で、小粋なフランス料理屋がいくつもある。お奨めは「ル・クロ・モンマルトル」。本場の雰囲気が味わえ味も本格的なフレンチ・レストランだ。 
12月16日
  講談社「フライデー」のKくんと新橋の寿司屋でおいしい寿司をつまみながら、彼がこの秋に出す新雑誌への感想と、多少のアドバイスをする。
  講談社だけではないが、この10年近く、新雑誌で成功したといえるものはほとんどない。立花隆さんがいうように、編集者の企画力の枯渇が甚だしいのはいうまでもないが、それにしてもひど過ぎはしないか。
  Kくんへんのアドバイス。これまで、どんな先輩編集者もできなかった、超かっこいい雑誌を創ることだ。泥臭さが講談社の雑誌の持ち味ではあるが、そんな殻を破るところから新雑誌を考えたら、新しいものが生まれるかもしれない。
  具体的なアドバイスの内容は、職務上知り得た秘密事項なので、ここには書かない。失敗を恐れて中途半端なものをつくらないことだ、がんばれ!Kくん。
12月21日
  酔っぱらってふらりと入った青山のジャズクラブ「Body&Soul」。開店何十周年記念だかで超満員。そのはず、渡辺香津美が演奏しているではないか。
  素敵なギタートリオをうっとり聴いていると、人生って、まだまだ楽しいことがあるんだと思えてくる。至福のひと時。
12月22日
  法政大学に、脱がせ屋・高須基仁さんに来てもらう。はじめ戸惑っていた学生たちも、彼の巧みな話術にはまりこみ、笑い、驚きながら、人生の勉強をしたようだ。
  終わってから、隣の教室で「忘年会」。高須さんもつき合ってくれて、和やかで楽しい会だった。高須さんの収入源って「おとなのオモチャ」だったんだね。ビックリ。
12月26日
  有馬記念を水道橋の場外馬券場へ買いに行く。ゼンノロブロイでしかたないと決め、2着薄目流し。ゼンノとタップダンスシチーで的中したが、儲け少々。
12月28日
  高須基仁さんの忘年会に行く。今更ながらだが、いろいろな業界の、様々な人が集う会だ。新聞、雑誌の業界人、AV男優、芸能人などなど。久しぶりに会ったライターの大林高士さんと四方山話。
12月29日
  神田明神下の「左々舎(ささや)」で、嵐山光三郎さん主催の忘年会へ遅れて駆けつける。
  人徳といっては失礼だが、出席者全員が「今年一年楽しかったね。また来年も楽しくやろう」という表情で、おいしそうに酒を呑んでいる。石田千さん風にいえば、ほっこりした温かな集まりであった。
12月30日
  ライターの松田賢弥さんと呑む。この時期、毎晩浴びるほど呑んでいるが、酒が飽きないのはなぜだろう。好きな女性だってこれだけ毎晩、とことんつき合っていれば、いい加減にしてよといわれかねない。体にもいいわけはない。わかっちゃいるけどやめられないのは、意志の弱さだとはわかっているのだが、なかなか、である。
  最近は往時茫々ではなく、数日前のことも朧になっていく。編集者生活30余年。人に誇れる仕事もせず、後へ残すものとて何もなく、老いさらばえていくのかと思うと、ちょっぴり感傷的にはなる。
  それもこれも年の暮れ。様々のこと思い出す年の暮れか。明日は「芝浜」を聞こう。

 

#60 弁護士のルーツは鳥取の風光明媚な「古里」だった何もせず

05.08.02 up

1月5日
  ノンフィクション作家の朝倉喬司さんと東京アドエージの今井照容さんと神田の飲み屋で新年会。
  談論風発したはずなのだが、終わってみれば、何を話したのか朧朧である。本田靖春さんの死について語り、月刊「現代」2月号に掲載された編集部I君の追悼の文章がよかったとなった。今度、本田さんについて語る会をやろうというような次第になったような気がします。ねえ?朝倉さん。
1月6日
  三推社の出版部の新年会を神楽坂で。終わって、飯田橋よりの路地にある、狭くて急な階段を上っていく、フルーいカラオケスナック「紅」へ流れる。
1月7日
  ドキュメンタリー映画監督の森達也さんと対談。以下は経済誌「エルネオス」に載った森さんとの対談の冒頭部分です。

 今回の同伴者はドキュメンタリー映画監督の森達也さん。オウム真理教を内部から撮った「A」「A2」で有名だが、最近では「下山事件」の謎に挑んだり、姜尚中東大教授と戦争の記憶の残る場所へ行って思索する「戦争の世紀を超えて」(講談社刊)など、次々とジャンルを広げている。
  私は、彼の論理の組み立て方が好きだ。われわれのような活字でものを考える人間は、論理の飛躍がないが、森さんの考え方は映像的で、エッと驚かせて思いがけない結論へと導いてくれるから面白い。「世界が完全に思考停止する前に」(角川書店刊)の「僕のオチンチンはそこまで汚くない」の冒頭で、トイレに行っても手を洗わない、と書き出し、疑わしきを罰する風潮のはびこることの怖さに警鐘を鳴らす結論へと導く。
「タマちゃんを食べる会」では、タマちゃんを食べようと思うと、動物愛護団体が聞いたら卒倒しそうな書き出しで始まり、われわれの日常がおびただしい数の他の生命を犠牲にしないことには成り立たないのだから、この矛盾に自覚的であるために、歯を食いしばってでもタマちゃんを食べるのだとする。
  いずれも短い文章だが、頷かされ考えさせられる。彼は、日本人も、メディアも「無自覚」なことに腹を立てている。自覚なく自衛隊をイラクに派兵する政治家や人を傷つけていることの自覚がないメディアに刃を突きつけ、自覚を迫る。「自覚や主体性のないままにこの国の歴史を変えられたくない」と書く。優れた文明批評家になると期待している人だ。

 久しぶりに村田博文社長が主催する「財界賞」へ顔を出す。何人かの顔なじみと挨拶を交わし、受賞者の一人、旧知の「劇団四季」浅利慶太さんのスピーチを聞く。70歳になって若い奥さんをもらったせいか、見るからに若々しい。いい年の取り方というのはこういうことなのだなと、感心しながら聞いた。
  次があったので、浅利さんに挨拶できずに会場を出る。
  神楽坂で三推社幹部の新年会。終わって、六本木のカラオケスナックへ行く。
1月12日
  夜、「創」の篠田博之編集長に頼まれていた「出版就職講座」での講演を新宿御苑近くのホールで行う。
  終わってから何人かの学生に質問を受けるが、その中に、昔からよく知っている女性ジャーナリスト・油井香代子さんの娘さんがいた。お母さん似なのだろう、全身バネのような溌剌とした娘さんで、出版社のエントリーシートの書き方を教えてくれという。
  書いたらFAXすれば、添削してあげると約束する。後日送ってきたが、なかなかの出来だった。(追記・この娘さんは、その後、小学館に合格した)
1月13日
  法政大学の「マスコミ就職講座」の最終講義。フジテレビのアナウンス部の重鎮、とはいっても妙齢な40代の女性・松尾紀子さんとNHK静岡テレビの高須沙知子さんにおいでいただく豪華版だ。
  高須さんは、あの高須基仁さんの姪御さんだが、まったく似ていない。まだ20代半ばだが、素晴らしくきれいで明るい魅力的な女性だ。
  学生たちも、現役の女子アナの話を間近で聞けるから、興味津々。いつものように寝る奴は一人もいなかった。
1月14日
  2月14日に開催する「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」シンポジウムの打ち合わせを四谷でやる。日刊現代の二木さん、「創」の篠田さん、「世界」の岡本さんたちと当日の式次第などについて話し合う。
  夜は、高田馬場で、講談社の内定者たちの新年会へ呼ばれているので出席。今年4月から研修が始るから、彼らの顔も多少緊張感が出てきたようだ。講談社始って以来初めて、女性の人数が男を超えたので、この会も女性が多く、華やかだ。
  やはり聞きたいのは、研修が終わったらどこへ配属されるのか、自分の希望は聞いてくれるのかなどが多かった。
  どこへ配属されても編集はみな同じ。2,3箇所いろいろなところを回って、編集者として一人前になったら、そのときこそ、自分のやりたい、行きたい部署を堂々と主張すればいい。それまでは、編集のイロハを早く覚えることだ。
  だいたい、あそこは嫌だ、あそこじゃなきゃ嫌だなんていうのは5年早いぞ!などと、うだうだいっていたら、こんな先輩風を吹かせる奴がうざったいのか、気がつけば、私の周りに誰もいなくなってしまった。
  しかたなく、独酌でぶつぶついいながら呑む酒は、ほろ苦い人生の味がした。
1月15日
  昨年夏、中国上海で会った弁護士・範雲濤さんと銀座で懇談。彼は日本語ペラペラで、今年の春から、亜細亜大学で教えることになったという。
  彼は、日本企業が中国に進出するときのアドバイザーとして、中国では有名人なのだ。「日本の企業は中国の事情を知らないで進出するから失敗するんですよ。あの国の特殊な事情をわかった上で、どうすればいいか考えなくては。それには、両方のことをわかっている僕のような人間が必要なんです」
  これからは、日本人に「中国で成功するためのマニュアルを教えたい」と、意気軒昂だった。
  夜、C.ギャフニーさんと吉澤順子さんに、目白の小粋なフレンチをご馳走になる。
1月21日
  昨秋、横山康博弁護士と呑みながら、来年は、横山さんの故郷、鳥取へ蕗のとうを食べに行こうという話しになった。クルマ情報誌「マガジンX」の宮内正人さんと神領剛編集長も一緒だ。
  朝7時に羽田空港へ集合。このままいけば、10時頃には鳥取米子空港だが、少し早すぎるななどと機中で話していると、米子空港の上空で旋回を始めた。
  もしやと思っていると、30分ぐらい経って、「雪のために着陸できないので、大阪伊丹空港へ戻る」というではないか。
  やれやれだがしかたない。空港からタクシーで新大阪駅へ。新幹線で岡山まで行き、そこから山陰本線で米子へ向かう。車中ではもちろん大酒盛り。夕方米子に着いたときには大酩酊。
  そこから三朝温泉の超デラックスホテル「斎木別館」へ。温泉へ入って、鳥取の新鮮な魚えいっぱいやっていると、一人に一匹ずつ、どーんとマツバガニがでてきた。
  4人とも、しばし無言で絶品のカニをむさぼり食う。もう一回浴びて、階下のラーメン屋で焼酎とラーメンでシメ。あーあよう呑んだ。
1月22日
  横山さんの実家は、米子から1時間ぐらい離れた、まさに風光明媚なところだった。村の真ん中を川が流れ、正面に大山が雄々しくそびえ立つ。右手には日本海が見え、後ろには原生林の森が続くが、いまは、コンクリートの塊のような道路が林道を切り裂き、奥へと延びて、景観を台無しにしている。
  日本海の境港へ行って、小ぶりだがおいしそうなカニを大量に買い込み、横山さんのご実家へ。お父さんは亡くなられたが、国鉄マンだったようだ。どっしりとした大きなお家には、お母様しか住んでおられないという。
  そのお母様が迎えてくれたが、70をいくつか超えているだろうに、御元気で、毎日畑仕事をやっているという。
  早速、雪に覆われている下にあるはずの蕗のとう探しを始める。お母様が、このあたりにいっぱいあるはずと指さしたあたりの雪をかき分けると、あるあるある。大小、とても一度ではとりきれない蕗のとうが、早く取ってくれと催促している。
  1時間ほどもとっただろうか。腰が痛くなって、寒さで手がかじかんできたところで、蕗のとうとりは終了。
  横山さん自らが、カニをゆで上げ、蕗のとうを天ぷらにしてくれる。こちとら三人は、手持ちぶさたで、お皿を並べたり、お箸を並べるだけで、じっと待っているだけ。
  さすがに鳥取だけあって、夜が更けるに従って寒さが体を這い上がってくる。
  待つこと小一時間。真っ赤にゆで上がった大盛りのカニと、いい具合に衣がついた蕗のとうの登場だ。アツアツの蕗のとうに早速かぶりつく。ほどよい苦みが舌に残り、春の味を満喫させてくれる。
  横山さんは山菜取りの名人だが、子どもの頃から、このような自然がいっぱいの中で育っていたのかと、納得。
  小ぶりのカニも味は抜群。お母様も一緒に、ワイワイいいながら、鳥取の夜は更けていくのだった。
1月23日
  翌日は、お母様の案内で、その近くにある共同の温泉場へ。確か入浴料は200円だと思ったが、中は驚くほど狭い。風呂は3人も入ればいっぱいになる。入れない何人かは、風呂の横にべたっと座って、順番を待つのだ。
「あんたがた、どこから来たの?」地元のお年寄りが、気さくに話しかけてくる。全部入いっても5,6人でいっぱいになるが、お湯の温かさと人情がしみ込む、いい湯だ。
  夕方、名残惜しい米子に別れを告げて、羽田空港へ。
  横山さんのルーツを知る旅は、心も体も洗われる、いい旅だった。
1月25日
  講談社に内定しているO嬢たちと西麻布で懇談後、マス研の伊坂豊一さん、「週刊現代」出樋編集長たちの新年会に乱入。
  支離滅裂、ハチャメチャな、それでも超楽しい夜が更けていった。

 

#61 いよいよ形が見えてきた「憲法改悪」の最も危険な部分

05.08.02 up

1月26日
  元法務大臣で自民党憲法調査会会長の保岡興治衆議院議員に憲法改正についてインタビュー。以下は経済誌「エルネオス」のインタビューである。

今回は「憲法」という重いテーマである。今から6年前、『週刊現代』編集長の最後の号で「1万人アンケート 憲法改正に反対する」という特集をやったことがある。その前に、読売新聞が「憲法改正試案」なるものを発表していた。ヘア・ヌードが売り物の週刊誌が10ページ以上を割いて、学生アルバイトを数十人使い、新聞でもやらない1万人電話インタビューをやり、新聞広告にも「憲法を改正してはならない」と私のメッセージを大きく載せた。話題にはなったが、その号は記録的に売れなかった。
  国民の関心もそれほど高くはなかったのだろう。しかし、アンケートを実施して寒気がしたのは、憲法改正に反対する数は過半数をやや超えたあたりだった。
  それから、9・11やアフガン・イラク戦争が始まり、自民党は結党50周年を機に憲法改正に向けて脱兎の如く走り始めた。国会はともかく、世論は「改正」に、そう強く反対はしないと読んでいるのだろう。保岡興治代議士を会長とする自民党の「憲法調査会」は昨年11月17日に憲法改正へ向けての「素案」を発表した。中谷憲法改正案起草委員長が現役の防衛庁幹部に草案作りを頼んでいたことが明らかになったり、参議院軽視の内容が反発を買い、これは差し戻しになったが、それを受けて、“神の国発言"の森喜朗元首相を中心に、4月までに「草案」作りをするとなった。憲法改正は目前に迫ったといってもいいだろう。
  憲法問題に長年取り組んでこられた保岡議員にインタビューした。
  元木 保岡さんが中心になってまとめられた憲法改正のための「素案」は、中谷さんの問題や参議院の反発で、差し戻しになりました。もう少しじっくり練ってから出してもよかったのではないですか?
  保岡 そのほうが無難だったでしょうね。しかし僕は、参議院は衆議院のカーボンコピーじゃいけない。この際、大胆に衆議院と参議院の役割を見直す必要があるというのは国民大多数の意見でもありますしね。今の時代は、政治が、大胆に政策を決定して迅速に展開することが歴史的に求められているわけです。そうしたことを含めて議論するのに、ある程度具体案を示されないと、関心が湧かないんですよ。なおかつ、前文のように理念に落とすところと、条文に落とすところ、基本法で決めるべきこと、そういうものを一緒に議論していくために、網羅的だが、ある深さをもったものを素材として提供して、それをスタートに議論してもらおうとしたんです。だから、落し所を探るための根回しなんて頭になかった。それが結果的には、案のようなものだと報じられたから、もうそこまで進んでいるのか、自分は知らなかったとか、そういう思いが自民党の幹部たちに走った。それが、全党的態勢で憲法改正をやろうという新たな動きにつながったので、効果がありすぎたかな(笑い)。
元木 一種のショック療法だったわけですね。今度森さんが委員長になった新憲法起草委員会というのは、これはどういうものになるんですか。
保岡 十いくつかの小委員会に分れて、そこの小委員長を中心にまとめてきたものを統合して、最終的に起草案をオーソライズして、小泉(純一郎首相)本部長以下全国会議員がなっている推進本部に提出して、そこで最終的な判をついてもらうことになります。
元木 4月にまとめて11月に草案として提出するというのですから、時間的にいっても保岡さんたちが今までやってきたものを引き継ぐんでしょうね。
保岡 いろんな経緯があるから、引き継ぐとはなってませんけれど、あれは、多くの党員たちが時間をかけて公開の場で議論してきたものですから、十二分に参考に足りうる資料として生かされると思います。そうして、新憲法制定推進本部という挙党態勢のなかでいい憲法が生まれることを期待しています。
元木 基本的なことをお聞きしたいのですが、なぜ、今、ひとつ、憲法を改正しなきゃいけないんですか?
  保岡 ご存じの通り、今の憲法は六十年前、日本が戦争に負けて、国家として破綻して、占領軍に占領されていたとき、あっという間に占領軍によって制定された憲法です。しかし、そこで実現された国民主権主義、民主主義、平和主義という理念は、当時の国民が渇望してるものとつながったから、その後、この憲法は国民のものとして定着していったんだと思います。
  だけど、生まれたときの事情から、自衛という国家の最高の責任、独立と安全を守って平和を守るという、国家にとって最大の責務が一行も入っていない。今日の国際情勢のなかで、自分の国を自分で守る自衛というシステム、そのシステムをどのように管理しなきゃならないかということについて、憲法という最高法規に、これの規定が欠落しているということは決定的な欠陥です。どこから見ても大きな軍隊と見られるような自衛隊が憲法上位置付けられてない。これはきわめて不自然、不合理だし、これ以上、解釈で糊塗して、最高法規の機能を守ろうとしても限界があるということが、第一の理由です。
  第二の理由は、基本的人権の部分です。人権の保障、個人の尊厳、基本的人権は非常にいいんです。だけど、それが世の中の全体の風潮として、国家は人権を侵害する存在だから、その制約源として憲法はあるんだ。個人は自由で、自由の下に責任があり義務があるんだと、あまりにも公というものを軽んじて、間違った自分中心主義、ちょっと次元はちがうかも知れないけど、経済至上主義、拝金主義、物質中心主義になって、豊かな日本を滅ぼしていきはしないか。自分の中に個人の尊厳や人権を守ろうという意識や目的があるんだから、他の人のそれも守るべきで、みんなの幸せを入れるよき入れ物を公共ーそれは人間のネットワークかも知れませんがー公共の価値と個人の尊厳の関係、それを守る制度的枠組みの国家との関係を整理して、正しく憲法に表わす必要があるんじゃないか。
  平和主義で言えば、自分の国の安全平和というものは自分の国の責任で守る、そういうことを明確にすることが平和主義の基本じゃないですか。米英みたいに日本が直接戦争に参加していくのか? 僕自身はノーだと思ってるんです。人によってちがうかも知れませんから自民党の見解とは言えないかも知れませんが。
元木 吉田茂首相が野坂参三に対して、「近年の多くの戦争は国家防衛権のために行われたことは顕著な事実であります。正当防衛権を認めることが戦争を誘発するのだ」といっていますが。
保岡 あくまでも自衛のためです。周辺事態というのは、我が国の安全、独立に重大な脅威が生じようとしてる状況を言うわけですから、そこで米軍が日本のために戦おうとしているのに、「後から応援します、そっちが戦ってください」というのは筋の通らない話だですよ。政府解釈でいうと集団的自衛権なんだけど、これは自衛なんですよ。何も個別とか集団とか分けなくていい。自分の国を守る領域の範囲内の共同行為だったら、私は領海内でも領海外であっても専守防衛の範囲から逸脱しないと見てるから、集団的自衛権を認めるのは当然だというところぐらいまでは憲法での規定の仕方があっていいと思います。
  外国に後方支援で行っているとき、相手から攻撃されたら、それが専守防衛という範囲内だったら、共同行為も含めて、できるという原理を明確にしておかないと、世界から相手にされないですよ。
  先程言ったように、明治憲法のときは何年もかけて議論したのに、この憲法は、GHQの民政局の若い人たち数人が一週間のやっつけ仕事でつくったから、日本の伝統文化というものが、天皇制を除いたら、まったく入っていない。その天皇制だって、天皇は日本の国民と日本国の安寧秩序を願う存在としてあり、日本の長い歴史の中で、権威として存在した天皇制を認めた上で、国民主権主義という、現代に合う政治のシステムを構築する。日本全体の国家の姿形を日本の伝統文化に立脚したかたちで、日本の顔が見える、日本の香りのする憲法にする必要がある。私はそう思っています。
元木 近代憲法のはほとんどが主語は国民ですね。しかし、素案も、いまの話を聞いていても、上に誰かがいて、国民はこれを守りなさいよ、こういうことをやっちゃいけないんだよと、主語がガラッと変るんではないかと心配になるんですが。
保岡 どこにそういう印象を持たれる問題があるのかな。それは誤解であり、まったくそんなことを意図してもいない。
元木 主語は国民でいいんですね。もう一つ、「素案」には、天皇を元首とするという文言が入ってますね。象徴天皇制というのは国民のほとんどが認めていると思います。しかし、元首として規定をするというと、国民の全部とは言いませんけど、かなりの国民に違和感が出てくると思いますが。
保岡 国民の多くが違和感もつならば、私は元首と敢えて書かなくてもいいと思いますが、私を含めた多くの自民党議員は、いまの天皇陛下も元首の行為を行っていると考えています。儀礼的、形式的ではあっても。われわれの時代はいいとして、子や孫になると天皇制の性格がわかりにくくなるんじゃないか。だからそういう意味で、象徴制も明確に、かつ元首としての立場もはっきりさせたほうがいいのじゃないか。
元木 私個人としては、このままでいいと思いますが、これから多くの議論をしていくべき点でしょうね。今回、憲法改正するとしても、96条に定められている、全国会議員の三分の二の賛成は大変でしょう。公明党が慎重になってきていますから。それをもう少し緩和しようという改正案が検討されていると聞きましたが、これは本末転倒じゃないかと思いますが、そんなことは可能なんですか?
  保岡 憲法改正の内容として改正条項の緩和を入れるんで、今度の改正は三分の二の発議で、国民投票の過半数でしなければならない。これはいまの憲法の中での改正だから、一回目の改正はいまのルールでやるのは当然です。次の改正案が成立してから、次からは緩和した条項で改正ができるようになる。
元木 ということでいいんですね。
保岡 もちろんそういう考えですし、法律的にも不可能です。
元木 今回は、憲法九条の改正が最大の焦点だろうと思いますが、確かに実情に合わなくなってきているところがあることは、私にもわかります。ただ、なぜ多くの人が反対するのかというと、今まで、強引な解釈で、憲法をないがしろにしてきてしまった。周辺事態なんていうワケのわからない言葉まで作って、ついにはイラクに派兵までした。今度、憲法を改正してしまえば、徴兵制はしませんよ言っていても、最後はそこへ行くかもしれない。失礼ですが、根底にあるのは政治不信だと思うんです。「そんなこと言ってたって、いったん改正しちゃえば、何をするかわからない」という。
この不信感に対して、政治家の人たちには説明責任がもっとあるんだろうと思うんです。
保岡 そうですね。だけど、その政治を動かす以外に、この国の道は開けないんです。国民が政治を信頼しなかったり、馬鹿にしたり、批判だけしたり、政治家も時代が突きつけてる本当の政治を実行せずに、相変わらず官僚組織と一体となって、政策立案を役人と一緒に足して二で割るような調整で終って、自分たちの政党の存在を維持しようなんて言ったって、もう無理だと思うんです。
元木 この「素案」の中に、「知る権利」を入れようというのがありますね。それから名誉権、プライバシー権や肖像権も入れようとしています。一見、いいことのように思われますが、「公共の価値」を大きくしていくと、言論・表現の自由が狭められる心配があるのですが。
保岡 憲法改正は、個人の尊厳や権利を守る入れ物として、最もふさわしいものという前提だから、権利の調整も必要になるだろうし、あるいは全体の価値という、たとえば善良な社会風潮というのも必要でしょう。いいものを入れるための適正な入れ物をつくって、けっしてこっちを大きくして、こちらを犠牲にする整理をしちゃならない。バランスでしょうね。価値観の整理です。
  元木 たとえ、改正するとしても、曖昧な言い方ではいけないと思います。具体的に、徴兵制はしないとか。権力側が、後からいくらでも解釈できてしまうようなものであってはならないと思います。
保岡 解釈が正反対になるような、あるいは疑義が残るような条文改正ではだめですよね。国民のためと称して、権力者が国民を犠牲にするような、そういう政治を許しちゃいけない。だから民主主義の成熟なんです、成熟度。民主主義が機能してるかどうか。システムはあっても機能してなきゃ、間違いが起る。もちろんシステムがなければ、なお間違いが起りやすいので、せめてシステムはきちっとした上、あとはその運用、そのなかにいい政治を熟成していかなければならない。元木さんが言われた、政治に対する信頼がなければ、どんな立派な制度も人が担うものである以上、間違った運用になったら刃物になる。だから最後は自国民の政治をいかに熟成させるかということが決め手になるわけです、民主主義を信頼する以外に、他に信頼するものはないわけです。政治の名において、民主主義の名において逸脱した行為を行わないようにどう管理していくか、どうそういう政治をわれわれが手にするかということ。その方法はあると私は思っています。
  元木 そういう文言を憲法の中に入れてもらいたいですね。ありがとうございました。
(このインタビューは、その後、保岡議員のホームページにも掲載されていました)

 西麻布で「東京海上日動」に就職して、名古屋で働いている五十嵐航さんと懇談。 学生時代も希に見る好青年だったが、それに磨きがかかっている。さぞ、もてるだろうと思ったら、これから彼女と会うのだと、嬉しそうに夜の街へ消えていった。
1月27日
  参議院会館で民主党党首福島みずほ党首をインタビュー。以下は、昨日と同様に、経済誌「エルネオス」でのインタビュー。

元木 昨日、自民党の保岡憲法調査会会長にインタビューしましたが、憲法改正が現実的になってきました。社民党は「護憲」を党是にしていらっしゃいますが、残念ながら、党としては多くの支持を集められていません。これからどうやって憲法改正阻止して行かれるのかをお聞きしたいのですが、まず「素案」についてどう思われますか?
福島 自民党の憲法改正素案の問題点は、国家と個人の関係を百八十度変えてしまうことと平和の問題、これが非常に大きいと思います。ご存じのように、教育基本法も「我ら」でスタートするんですが、日本国憲法も英語では「We」で始まるんですね。近代憲法は一二一五年のマグナカルタから、国家権力の暴走をどう歯止めをかけるか、人々の権利を守るために作られてきたんです。だから政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定すると謳ってある。だから憲法尊重擁護義務は国民にはなくて、危ない人々が入ってるわけですね。
  今度の自民党案、憲法改悪案の最大の問題点は国家と個人の関係を百八十度変えてしまう。国防の責務が入ってることもそうですが、要するに主権者である国民の権利を国家権力が制限する、公序の責務として、国民の責任を非常に強化する。だから国家と個人があって、国家権力をどう制限し、自分たち個人の尊厳を確立するかということだったのが、ベクトルの方向が正反対になっていく。
  それは教育基本法にもあって、国を愛する心を育てると入れるわけだから、教育が子どもの幸せのためにあるとなっていたのが、教育が国家のためにあるとなっていくから大問題です。しかも、日本の文化、伝統を入れるとか言ってるから、なおさらワケがわからない。
元木 保岡さんは、日本の文化の香りのする憲法といっていますが、要は、天皇の元首化、教育勅語の復活などを考えているんでしょう。
福島 二つ目は平和の問題で、私はいま憲法を変えてよくなる可能性はどの条文においてもないと思っています。憲法九条の問題についても、専守防衛なのか、自衛隊をどう位置付けるかというかわいらしいところに議論があるのではなくて、集団的自衛権の行使を認めるようにすると言ってわけです。とすると、日本は戦争しない国、不戦の六十年だったのが、戦争する国になる。日本の国が侵略されてどうなるというのではなく、集団的自衛権の行使ということに力点があるので、もし九条がなければ、戦争します、戦争やりますに変っていくんです。武器輸出原則の見直し、非核三原則の見直し、海外派兵。徴兵制は今は入れないといっていますが、、最終的には行くかもしれないですね。憲法を変えてしまえば、戦争しない国から戦争する国になる。もう後戻りができないと思います。
元木 彼らのやり方の常套手段は、字句は曖昧にしておいて、通ってしまったら、自分たちの都合のいいように解釈してしまいますからね。
福島 徴兵制は、昨年6月の自民党憲法改正プロジェクトチーム論点整理案には入っていたんです。石破茂元防衛庁長官が防衛長官になる前に、衆議院の憲法調査会で徴兵制も合憲である。今まで意に反する苦役にあたる場合にあり得るから違憲と考えられていたが、国のためにやるのになぜ違憲か、と言っています。
  要するに為政者たちの頭の中には、国のために協力しない人などいるわけがないと思ってるわけですよ。だから有事立法三法案が一昨年成立し、去年有事立法七法案三条約が成立しましたが、有事立法三法案は、農協が戦争のために食料を提供しない、あるいはガソリンスタンドが燃料を戦争のために提供しないと、保管命令義務違反で六ヶ月以下の懲役になるんです。戦争に協力するか、懲役刑か、選びたくない二者択一になるので、これは精神的自由権、思想、良心の自由に対する侵害ではないかと国会で質問したら、自民党席から、「日本人か、それでも」ってヤジが飛んだんです。
元木 今の時代、残念ながら護憲派の声はさほど大きくない。そこで、今上天皇は即位するとき憲法を遵守すると言っていますが、天皇が護憲派の錦の御旗になりうると思いませんか?
福島 彼がある種、戦後民主主義の象徴であって、それは子どものときにもう戦争があったからだと思います。今の天皇が一人で平和のことを思っているというより、その世代の多くの人たちが、もう戦争は嫌だと思っている。その思いを彼も共有しているのだと思うんです。
  たしかに天皇の政治的発言というのは非常に微妙だけれど、私はいま最もインタビューをしたい護憲派ですよね。歌会始の天皇の歌が反戦歌だったんですよ。「戦なき世を歩みきて 思ひ出づ かの難き日を生きし人々」。これって、反戦歌でしょ。
元木 なるほど、天皇に護憲派の象徴になってもらいましょう(笑い)。
福島 日本にいると、アメリカが巨大で、日本はそれに付き従わざるを得ないように思ってしまうけど、南米では社会民主主義政権がほとんどできつつあり、アフリカ、ヨーロッパ、南米、不安定なところもありますけれど、全体的に見ると、アメリカや日本というのは特殊で、貧困ゼロをどうめざすかというのが世界的な潮流なんです。
  自民党は改憲するために、国労を解体し、総評を解体し、社会党を解体し、あらゆる障害になるものを解体してきたんです。この流れのなかで、私たち護憲政党は、たしかに国会の中では辛い。ただ、ちょっと目を転じれば、世界では武力行使で問題は解決しないと思い始めている人々もたくさんいるんです。今年は広島長崎に原爆が落とされて60年です。もし憲法九条がなかったら、朝鮮戦争やベトナム戦争でもアメリカとともに戦い、朝鮮やベトナムの人たちを殺していた。そうしなくて本当によかったと、わかりやすく転換することで護憲を勝ち取りたいと思っています。
元木 国会の中での論戦はもちろん必要ですが、大きな流れに棹さすには、世界中から「お前のところはいい憲法を持っているんだから、これを大事にしろよ」っていう声を大きくして、日本人が、「ああ、そうだよな。この憲法は守っていこうじゃないか」と思わせる潮流をつくり出すのが一番強いかもしれませんね。
  自民党が目論んでいる憲法改正は、知る権利や言論表現の自由を狭めようとしているという意味でも、もっとメディアが反対しなくてはいけないと思うのですが、そうした声は大きくなりませんね。メディアが衰弱していることを象徴する“事件”がNHKの幹部に対して安倍晋三さんが、「中立公正に」と言ったという件です。これについて、どうお考えですか?
福島 これは日本のメディアの生き死に関わる問題ですよ。私は、これはNHK問題というのは間違いで、朝日対NHKでも、朝日の記者対中川さん、安倍さんでもなく、メディアに対する政治権力の介入の問題というふうにきちっと論点を立てなければいけないと思います。
  恐ろしいのは、政治家が事前に会いー安倍さんは事前に会ったことは認めているわけだからー公正中立と言っただけで何が問題かーと言っていますが、放映直前に大改編が行われているのは客観的事実なわけです。これは政治家のパワ・ハラ(パワーハラスメント)ですよ。私の質問に、小泉総理は、「NHKは圧力を受けてないと言っているから問題ないのだ」と答えましたが、これも問題のすり替えです。
  今は憲法上の価値が本当に生かされていない時代です。年金の問題は憲法二十五条の生存権の問題だし、イラク派兵は憲法九条が守られていないという問題だし、今回の問題は憲法二十一条二項の「検閲はこれをしてはならない」ということに実質的に触れるんです。メディアへの権力の介入は、当然ですが、国民の知る権利が侵害される。人々は表現されたものを通じて意思を形成し、投票し、民主主義を形づくるので、NHKがいいと言ったからいいんだじゃなくて、国民の知る権利が侵害されているということが重大な問題で、政治とメディアが一体化すれば、大本営発表以外になく、国民は真実が起きてることを知りようがないんです。だから、これはものすごくシビアな問題で。くり返し言いますが、これがよしとされることは、日本の民主主義の危機だと思っています。
元木 朝日新聞は怯まずに、堂々と、安倍さんに対して「貴方が事前検閲をしたことは揺るぎない事実だ」と書いて、論争すればいいんですよ。NHKに抗議されて、「対応次第では法的措置をとる」なんてメディアにあるまじきことを言っているからいけないんです。本当にここはメディア側の正念場ですね。ありがとうございました。
  夜、神楽坂で立川志らくさんの落語を聞き、終わってから、嵐山光三郎さんの新年会。

 

#62 私が仲人をした好漢・山影好克さん逝く

05.08.02 up

2月3日
  有楽町の日本外国特派員協会で開かれたノンフィクション作家・長尾三郎氏の「週刊誌血風録」(講談社文庫)の出版お祝の会。
  さながら、「週刊現代」のOB会の様相。若輩(?)の私など、各先輩たちに頭の下げっぱなしだった。
  日刊ゲンダイ社長・川鍋孝文社長の紹介で「丸井」の青木忠雄社長とお話しする。
「一度君と会ってみたかったんだ」とおっしゃってくれる。編集者冥利。
  途中退席して、立川企画松岡社長と名カメラマン・ムトー清次さんと一緒に、高速をひとっ走りで横浜へ。
  松岡さん推奨の「上海ガニ」が絶品だという「状元楼」へ入る。かなりの大店だ。美しい女将さんが差配してくれる。
  いよいよ「上海ガニ」のご登場。中国飯店の酔っぱらいガニほど濃厚な味ではないが、老酒の味が程よく沁みていて、紹興酒との相性が素晴らしい。松岡さんが褒めるのはよくわかる。
  またシーズンに(ここは2月まで上海ガニはやっているそうだ)来てみたい、そう思わせる逸品。
2月5日
  映画「Ray」を見る。主演はジェイミー・フォックス。盲目の黒人歌手、レイ・チャールズの半生を忠実に描いている。
  何といってもこの映画の見物は、フォックスがレイそっくりに歌うヒットナンバーだろう。素晴らしくうまい。こうなると物真似の域を超えている。
  レイ・チャールズの描き方も、彼が生前、よく怒らなかったなと思えるほど、嫌な面も描いてはいるが、嫌味にならない。
  私が高校生の頃だったか、レイの「愛さずにはいられない」を聞いたときの感動を思い出した。必見の一作だ。
2月10日
「Will」編集長の花田紀凱さんと懇談。朝日新聞や中国叩きで、部数は好調のようだ。ご同慶の至りである。
2月14日から23日まで「Egypt」旅行のため休載。(この部分は後日書きます)
2月25日
  早稲田の「リーガロイヤル・ホテル」で本田靖春さんを偲ぶ会。
  本田さんを死ぬ間際まで見続けた講談社の渡瀬昌彦さんが、この会に間に合うように、昼夜を分かたずつくりあげた、渾身の一冊、「我、拗ね者として生涯を閉ず」が入り口に積み上げられてあった。
  多くのノンフィクションライターや五木寛之さん、渡辺淳一さん、伊集院静さんなど多士済々。銀座で残った数少ない文壇バー「数寄屋橋」の綺麗どころも見えていた。
  その綺麗どころたちに本田さんの形見の万年筆を見せると、「これが本田さんの……」といいながら、涙を溢れさせた。
  病気で療養中だと聞いていた田代忠之講談社顧問も元気な顔を見せていた。「おい、川上(信定)さんが死んだんだってな。なぜなんだ?」と聞かれ、栄養失調・肺結核・肺炎で死亡したことなど話す。
  本田さんの奥様も、気が張っているのだろう、元気な顔でマイクの前に立ち、参会者たちに挨拶した。
  会場の人たちと本田さんの思い出を話しているうちに、お互い思いがこみ上げてきて、涙ぐんでしまう。本田さんのようにすがすがしい、いい会だった。
  終わって、佐野眞一さんや吉田司さん、野村進さんらと早稲田の寿司屋で一杯。本田さんの思い出もさることながら、某ノンフィクション作家の悪口に花が咲いてしまった。
2月26日
  講談社の児童第一にいた、故山影好克さんの葬儀が代々幡斎場で行われた。山影さんが最初に結婚したとき、私が仲人をしている。その結婚はうまくいかず、短期間で別れてしまったが、二度目の結婚の時は、主賓として参列した。
  一見、優男風に見えるのだが、シンはしっかりした男らしさをもったいい編集者だった。 40歳ぐらいのとき奇病にかかり、全身の血を抜き、妹さんの血と入れ替える大手術をした。それを克服して仕事に復帰し、私のところへも挨拶に来て、一緒にそばを食べた。
  何度かメールをもらい、順調に回復してますとあったので安心していた。それが急変してしまった。
  私のような老いぼれが残り、彼のような、これからの人が逝ってしまう。「おい、早すぎるぞ」。そう遺影に声をかけたが、写真の山影さんはニッコリ笑っているだけだった。
3月1日
  元小渕恵三首相の秘書で自民党平成研元会計責任者だった旧知の滝川俊行氏と神楽坂で久しぶりに呑む。
  滝川氏は、日歯連から旧橋本派の政治団体「平成研究会」へ1億円献金され、それを帳簿に記載しなかった政治資金規正法違反の罪で起訴され、東京地裁に、禁固10カ月執行猶予4年の判決を言い渡さ、これを受諾している。
  心配していたが、元気な様子で、安心した。こちらが気を遣って聞かなかった事件のことや拘留中の話しをおもしろおかしく話してくれて、さすが、腹が据わった人だと、改めて感心した。
  自民党を支えていた派閥は、彼が証言したことで、完全に崩れ去った。滝川氏は「もう永田町に未練はない」とさばさばしていた。しかし、これほどの男を政治家がほっとかないだろう。
3月2日
  神田「龍水楼」で「とげぬき会」。この会は、昔、月刊「現代」にいた編集者のOB会のようなもので、ほとんどが私の先輩になる。
  今回は、講談社の先輩二人の還暦お祝。私も、今年の11月には「赤いマフラー」をもらうことになるのか。そう思ったら、長い道のり、ほぼ無事これ名馬ではなく、大過もいっぱいあったのに、ここまで来られたことが、奇跡のような気がしてきた。
  温かい先輩や後輩に感謝、感謝。
3月3日
  ノンフィクション・ライター魚住昭さんと懇談。夜、講談社の某役員氏と懇談。
3月7日
  風俗ライターの吉村平吉さんが亡くなった。享年84歳。朝日新聞によれば、「早大専門部政経科卒。喜劇役者・榎本健一率いる「エノケン一座」の文芸部に所属。戦後、東京・浅草に劇団「空気座」を旗揚げし、その後、作家活動に転身。「戦後初の風俗ライター」と呼ばれ、吉原の旧赤線地帯に住み続ける。著書に「実録・エロ事師たち」「吉原酔狂ぐらし」「浅草のみだおれ」など」とある。
  入社して間もない頃、吉村さんの案内で、山谷を案内してもらったことがあった。一人ではとても入っていく勇気がなかったが、吉村さんは「我が町」という感じで隅々まで案内してくれた。「元木さん、ここの人たちはとっても食べ物にうるさいんだよ。それは、日雇いで稼いだカネを使うのは、ドヤ代と酒と食うことしかないんだ。だから、変なものを出すとすぐわかる。安くて美味しいものを出さないと二度と来てくれないんだ。だから、ここにはいい店が多いよ」といいながら、確か「三州屋」だったと思うが、連れていってくれた。
  そこで呑んだ酎ハイや刺身は、平さんがいうとおり、それほど安くはなかった(山谷にしてはだが)が美味しかった。粋人がまた一人いなくなってしまった。
  夕方、日本ペンクラブで「人権擁護法案」について打ち合わせ。その際、「国民投票法案」について説明を受ける。人権擁護法案が隠し持っているメディア規制の危険なことはいうまでもないが、憲法改正をするときの手続き法、国民投票法案の驚くべき「言論弾圧」、それも、メディアばかりではなく、一般の市民の口も塞ごうという「意図」に、一同呆然とし、その後、怒りに体が震える。
  この法案の危険なことは、以下の「日本ペンクラブの声明」を読んでください。
http://www.japanpen.or.jp/seimei/050315.html

 

#63 言論の自由を蔑ろにする国民投票法案絶対阻止!

05.08.20 up

3月13日
  夜、ノンフィクション作家の朝やんこと朝倉喬司氏とミリオン出版の「実話ナックルズ」編集長の久田将義さんと会食。
  その後、ゴールデン街を2店ばかり散策。酩酊した朝やんを残して、帰路につく。

3月13日
  吉田司さん、吉岡忍さんたちと、もうすぐなくなってしまう新宿「滝沢」で、国民投票法案阻止の打ち合わせ。時間に行くと、いつまでたっても吉田さんたちの姿が見えない。どうも、日にちを間違えたらしい。アルツハイマーがいよいよ始ったか。

3月16日
  中野の公証役場から立会人3人に来てもらって、親父の「遺言状」をつくる。ここ数年来のパーキンソン病、呆け、86歳。いやな話だが、いつ何時何があっても不思議はない年だから、知人の弁護士の薦めもあって、つくることにした。
  意外といっては親父に失礼だが、立会人の質問に、はっきりした声で答えていた。
  そろそろ、自分の「遺言状」もつくっておかないと、そう思う年になってきたことがちょっぴり寂しい。

3月18日
  外人記者クラブで、元「東洋経済」の飯沼良祐さんと、昨今の日本のネオコン雑誌隆盛について話し合う。
  文藝春秋の「諸君」、産経新聞の「正論」、小学館の「SAPIO」、そこへ花田紀凱さんの「Will」が参入。全部集めてもたいした部数ではないが、中国や韓国の「反日」の風に後押しされて、順調だという。
  日本に一番欠けているのは、「リベラル」な雑誌がないことである。終戦直後あった同じ書名の雑誌を出したら、意外に受けるかもしれないよ。
  その足で、資生堂で開かれている、山本容子さんと詩人の谷川俊太郎さんの息子さんで、作曲家の谷川賢作さんの「絵と音楽のコラボレーション」を聞きに行く。

3月20日
  新宿「滝沢」で、国民投票法案絶対阻止の打ち合わせ。今度は間違いなかった。

3月22日
  神楽坂の「アグネスホテル」で、今年の出版社の内定者、何人かに集まってもらって、私のホームページ「編集者の学校」で始める「雑誌ジャーナリズムの現場から」(略称「ジャナ現」)の打ち合わせ。
  4月1日から施行される「個人情報保護法」について、週刊誌の編集長たちにインタビューしてもらうことを頼んだ。みんな、これから出版社でばりばりやろうと前途に希望を抱いている若人だから、目が輝いている。この輝きが、ガラス玉にならないようにしてあげるのが、われわれ先輩たちのやらなければならないことである。どいつも、いい編集者や営業マンになるはずだ。

3月23日
  銀座に店を出した、新進マジシャン「都々(とと)」さんのお店に、単行本打ち合わせに、御庄員代さんと行く。
  こじんまりとした小粋なマジック・バーで、打ち合わせの後、都々さんたちのトランプのマジックの妙技を見せてもらう。
  いつもながら、「どうして、なんで」の連続に、店に来ている若い女の子たちはきゃーきゃー喜んでいる。
  こうした手軽に手品を楽しめるマジック・バーがあちこちにできて、どれも繁盛しているようだ。見ているうちに、自分でもやりたいと思うようになるが、この不器用な手では、だめだろうな。

3月24日
  環境破壊問題に警鐘を鳴らし続けている世界的なエコロジストであるレスター・ブラウンさんの講演会を聞きに行く。
  夜は、昨年の夏、ソウルで取材中に脳梗塞で倒れ、危うく一命をとりとめ、苦しいリハビリに励んでいた、講談社の「Web現代」のフリープロデューサー・猪股仙筆さんの快気祝いに出席。
  久しぶりに見る猪股さんだが、後遺症はほとんどわからないほどに回復していた。彼は、「Web現代」で一番のキラー・コンテンツ「宮澤正明の電脳写真館」を立ち上げた敏腕プロデューサーだが、ワーカーホリックで、ほとんど会社に寝泊まりしていたが、結婚して子供が生まれ、人生で一番輝いているときに、不幸が見舞った。
  しかし、彼の持ち前のバイタリティーと強力な意志、それと奥さんをはじめとする周囲の温かい励ましで、難病を克服した。
  私も彼の結婚に関しては、いささか関係があるので、元気な姿に思わず目頭が熱くなった。好漢・猪股、これからは無理をせず、いい仕事をしてくれと、みんなで花束を渡す。

3月25日
  ホテルニューオータニのラウンジで、レスター・ブラウン氏をインタビュー。環境問題に詳しい枝廣淳子さんに、畏れ多くも通訳をお願いする。
  以下は、経済誌「エルネオス」に掲載されたレスター・ブラウン氏のインタビューである。

メディアを考える旅
  レスター・ブラウン氏は環境問題の伝道者である。ブラウン氏は20世紀後半を「膨張の世紀」または「飽食の世紀」ととらえ、21世紀は「水不足の世紀」だと警鐘を鳴らす。それに地球温暖化がこのまま進めば、世界の穀物生産は大きなダメージを被り、テロリズムよりはるかに大きな「飢餓の脅威」が現実のものとなるという。
  穀物の自給自足をしていた国が急激な工業化は穀物の消費量を増大させ、耕地面積の減少をもたらし、70%以上の穀物輸入をするようになる。これをブラウン氏は「ジャパン・シンドローム」と呼ぶ。
  食料生産には莫大な水を必要とする。世界の水の70%が灌漑用水として使用されており、「水不足が食糧不足につながる」と警告する。これからは、石油を巡って戦争が起きるのではなく、水を巡る戦争が起きると予告する。
  今年2月に京都議定書が発効したが、大きな影響力を持つアメリカはこれを批准していない。将来の「フード・セキュリティー」は、農地の確保、灌漑用水の確保、牧草地の保全、そして温暖化防止にかかっているという氏の警告を、日本人の一人一人が真剣に受け止め、早急に対策を考えなくてはいけないのだ。
優れた通訳兼翻訳家で、環境問題にも取り組んでいる枝廣淳子さんに通訳をお願いして、来日したブラウン氏にインタビューした。

元木 新著「フード・セキュリティー」を読ませていただきました。多くの学ぶことがありました。これまでブラウンさんは地球の環境問題について警告や発言をしてきていますが、ここ10年ぐらいのスパンで見てみて、少しずつ良くなってきていると思いますか?

ブラウン 1996年にローマで世界食料会議が開かれた時、目標として2015年までに飢えている人の数を半分にしようと決めたんですが、実際には、あまり進捗をしていないどころか、問題が悪化しているということがわかってきています。この数年間で大きく食料事情が改善してきて飢えた人が少なくなってきたのは中国ですが、インドはあまり改善してません。アフリカに及んでは農業自体が弱まってきていますから深刻度は増しています。

元木 中国は急速な経済発展を成し遂げてきましたが、それと同時に砂漠化や水不足、電力不足が深刻になっています。 

ブラウン 多分この10年間で、私が書いてきたことに一番注目をしてくれたのは中国政府だと思います。「誰が中国を養うか」という本を出した頃は、中国政府は穀物価格を42%上げて、何とか農業に対するインセンティブを与えようとしました。これは3、4年の間はうまくいっていたんですが、1998年に中国の穀物の生産量はピークに達して、それからは減り始めています。

元木 中国へは何度行かれました?

ブラウン 5、6回行ってます。

元木 このままいくと、この本の帯にあるように、「人口13億の中国が世界の穀物を買い占める日」がきますね。

ブラウン アメリカは世界の人口の5%ですが、そのアメリカ一国で世界の資源の三分の一ぐらいを消費しているといわれていました。それは過去においては確かに真実でしたが、今ではそうではなくなっています。今は中国がアメリカを抜いて、主な資源の最大の消費国となっています。今では中国はアメリカよりも多くの穀物を消費しています。それだけではなく、アメリカよりも多くの石炭を燃やし鉄鋼の消費量も上回っています。同じことが消費財についてもいえます。中国はアメリカよりも多くの携帯電話やテレビ、冷蔵庫を持っています。
  ですから、中国のGNPがこれまでと同じように年8%の勢いで拡大を続けたとしたら、今から26年後の2031年には一人当たりの所得が現在のアメリカと同じ水準になります。その時の消費パターンが現在のアメリカと似たような形であったとしたら、大変なことになります。
  まず、2031年の段階で、中国の穀物の消費量は、世界全体の三分の二を占めるようになります。その時点で中国の紙の消費量は年間で3億トンになります。現在、世界中で生産されている紙の量は1億5600万トンですから世界中の森がなくなってしまう危険性があります。また、石油の消費量は一日に9900万バレルになりますが、現在、世界中の産油量というのは7900万バレルで、これ以上、産油量を増やすことはできないでしょう。自動車について見てみると、現在アメリカでは、四人に3台の割合で自動車を所有しています。2031年の中国の人口は14億5000万人と推定されていますから、中国全体では11億台の自動車を持つことになります。現在、世界中の自動車は8億台ですから、それよりも3億台も増えるということになります。この11億台の自動車を走らせるために舗装しなくてはならない中国の土地を計算してみると、現在の中国の米の作付面積をすべてあわせたものに等しくなります。
  中国のこのような進展から、私たちが学べることは何なのかというと、西洋型の経済モデルが中国では機能しないということです。西洋型の経済モデルというのは、化石燃料を使って自動車を中心に、使い捨ての経済です。これは西側諸国で起こり、アメリカで全盛期を迎えた経済モデルですが、このモデルは資源がないために中国では機能しないということが、幾つかの例からもおわかりになると思います。中国で機能しないとしたら、インドでも機能するはずがありません。2031年の段階で、中国よりもインドのほうが人口が多くなっていますから。
  大切なポイントは、長期的には、産業化を遂げた先進国においても、これまでの経済モデルは機能しないということです。なぜなら、私たちは次第に統合の度合いが深まるグローバル経済になってきています。ですから石油も穀物も鉄鉱石も、同じ資源に依存しているんです。だから、われわれは新しい経済モデルを創っていかなくてはならない。それができなければ、経済発展を続けることはできません。これが企業であれ個人であれ政府であれ、直面している大きな課題だと思います。

元木 水不足というのも深刻になるんですね。

ブラウン 中国の指導者は、水問題にはかなり懸念を深めていると思います。水不足が拡がればフード・セキュリティに影響が出ますが、多分この問題は、そう簡単には解決できません。

元木 もう一つの大国アメリカは、この間発効した京都議定書を批准していません。ブッシュ大統領はあまり環境問題に対しては熱心ではないという評価がありますが、アメリカはどう変化していくのか?

ブラウン これまでのところ、アメリカのエネルギー政策は石油会社や石炭会社がつくってきましたが、この状況も変り得る可能性があると思います。例えば今、アラスカの石油を掘ろうという話になっていますが、石油会社はそれに対して、どちらかというと中立的な立場をとろうとしています。どれぐらいの石油がそこにあるかわらないということもあると思いますが、現代のように、国民が気候変動に対する懸念を増していて、氷が融けている、ハリケーンが増えているという情報は、毎日のように届いていますから、国民のものの考え方に影響を与えていることを考慮してのことだと思います。それは10年前のタバコ業界と同じような状況ではないでしょうか。当時、タバコ業界は喫煙と肺ガンの関係については一切否定をしていましたが、ある段階で因果関係があることが明らかになってきました。そうして、タバコ業界全体が信頼性を失い売り上げが落ちてしまった。同じような状況が、今のアメリカの石油会社にも出てきているのではないでしょうか。

元木 新しい経済モデルは何を中心に行われるのですか?

ブラウン 新しい経済モデルは、今よりもエネルギーの使用効率をグッと上げることになるでしょう。現在、気候変動に様々な状況が出ていますが、それを見ると、私たちは、今すぐ真剣に、この問題と取り組まなくてはならないことがわかると思います。これは京都議定書の話ではありません。京都議定書はもう既に時代遅れになっていると私は思っています。
  最近の科学的な報告書を読んでいると、「世界中のあちこちで氷が融けている」と伝えられています。また、気温が上昇することによって穀物の収穫量にマイナスの影響が出ているそうです。だいたいの値ですが、気温が1度上ると収穫量は10%減るといわれています。

元木 今の石油エネルギーに取って代わるものは何になるんでしょう。

ブラウン エネルギーの効率を上げていく幾つかのやり方をお話をしましょう。一つはとても簡単なことです。古い効率の悪い白熱電球の代りに効率の良い蛍光灯の電球に替えていく。これだけで電力を三分の二減らすことができます。もう一つは、もし、アメリカが炭素の排出量を減らして石油に対する依存率を下げようというと決めて、ハイブリッドカーに切り替えれば、ガソリンの消費量を二分の一に減らすことができます。アメリカの平均的な自動車は1ガロン当たり20マイルという数字ですが、トヨタのプリウスですと、これを55マイルに上げることができます。このように「ハイブリッド」というのは、最新の自動車技術であると共に、エネルギー効率を大きく上げる技術でもあります。
  ハイブリッド車というのは、いろいろな可能性を持っていて、例えばプリウスに二次蓄電池をつけて、直接コンセントから電気を充電できるようなプラグインの仕組みを取り付けたとしましょう。家の車庫でプリウスを停めている間に電気を充電できるようにする。そのようにしますと、短距離の通勤や買い物に行く車は、この電気だけで走らせることができるようになります。もちろん、週末に、200マイルから300マイルは走るという時はガソリンを必要としますが、ほとんどの車は電気で走るようになる。その時には、その電気を風力発電からとるようにしたら、まったく新しい自動車のエネルギー経済が誕生します。非常に効率の良い車両、そしてその燃料は風力からえる、そのような未来が訪れるということです。

元木 風力発電は期待されていますが、実態はどうなのですか?

ブラウン 1995年以来、風力発電量は年率30%以上の勢いで大きく伸びています。そのリーダー役を務めているのがヨーロッパですが、現在、そのヨーロッパでは4000万人が住宅用の電力を風力だけからえています。2020年には、その数が9500万人に増えるといわれています。また、最近出された風力関係のコンサルの会社の見積もりによると、ヨーロッパのすべての国が真剣にオフショアの風力発電開発を行なえば、同じ2020年には、すべてのヨーロッパの人々の住宅用の電気を風力発電からえることできるとしています。
  風力発電が大きく伸びている理由は、豊富な資源であり安価にえられるということと、枯渇しないし分散型でクリーンで気候変動を起さないエネルギーであるということです。もし、アメリカで何千という風力ファンから安い風力発電でつくった電気を供給できるようになると、すべての自動車を風力発電で動かすことができるようになります。これはハイブリッドという自動車技術の進歩のお陰でもありますが、風力タービンの技術が非常に進歩してきていて、発電の効率も規模も大きくなっているからです。

元木 日本の企業もCSR(企業の社会的責任)に目を向けるところが増えてきました。
ブラウン アメリカの半導体メーカー「STMエレクトロニクス」という会社は炭素排出量をゼロにする「炭素中立」という操業をアピールしています。「デュポン」は、1990年に比べると、炭素の排出量を40%以上減らしています。このように、個々の企業で環境効率を大きく改善している所がたくさんあります。さらに大切な企業の役割としては、世界の経済の構造を変えるリーダー役を果たすことです。一つの例が「トヨタ」です。先ほどハイブリッド車の話をしましたが、この技術を導入することによって、世界の自動車エネルギー経済は大きく変わります。同じような例として、デンマークの「ベスタス」という会社を挙げましょう。この会社は風力タービンの製造や設計を行なっている会社です。デンマークというのは人口500万人という小さな国ですが、この国が今では風力タービンの製造で世界のリーダー役を務めています。
  ご存じのように、「トヨタ」一社の利益はアメリカのビッグ3をあわせたよりも大きくなっています。このように企業活動が環境に好いだけではなく、経済的にも評価される時代になっています。ここにこそ、企業のこれからの差別化のカギが隠されていると思います。

元木 日本の風力発電が電力全体に占める割合はまだまだ小さいですね。日本は、あまり風力発電に向かないんですか?

ブラウン 日本は沿岸線が長いし山脈も多いから、風力発電の可能性は非常にあると思います。風力以外には、日本独特のエネルギー源として開発できる可能性があるのが地熱です。これだけの温泉が湧いているというのは、地熱が非常に豊かであることを示していますからね。

元木 企業だけではなく、政府も、発想の転換をしなければ、これからは生き残れませんね。

ブラウン 一つ、それを例示するような話をしましょう。1998年の夏、中国の揚子江で何週間にもわたって大変な洪水が発生しました。しばらくの間、中国政府はこれは自然災害であるといっていました。確かにモンスーンの季節でしたが、洪水の被害はこれまでにない大きなものでした。被害額は300億ドル、これは中国の米の収穫からあがる値段と同じでした。その後、中国政府は記者会見を行ない、このような発表をしたのです。あの揚子江の洪水は確かに自然災害であった。しかし、そこに人間活動の影響もあった。つまり、揚子江の上流で木を伐採していたことが、あの大洪水につながったことを中国政府は認めたのです。そして揚子江上流での木の伐採を一切禁止しました。その禁止する時の理由は、「伐ってしまった木よりも、立ったままの木の方が3倍の価値がある」ということでした。つまり、洪水を起さないように水を抑える「治水の価値」は、伐って木材にした時の価値よりも3倍あるということをいったわけです。これは大きな考え方のシフトだと思います。

元木 環境税を導入することにも触れていますが、少し説明してください。

ブラウン 例えば、石油を燃やすことによる大気汚染や酸性雨、気候変動のコストを計算すれば、非常に大きな数字が出てくると思います。そうした時に、税制を変えていく必要があると思います。個人や法人の所得税を下げる代りに環境を破壊するような活動に対する税を上げていくんです。

元木 どうも、日本政府は環境問題にあまり熱心ではない、リーダーシップを発揮していないようにわれわれ国民には見ているんですが、どう見てますか。

ブラウン 日本の農業者が高齢化していることに驚きました。国は何か対策を考えているのでしょうか。カロリー・ベースでの自給率は40%を下回り、飼料用も含めた穀物輸入率はほぼ70%にもなっています。私が農林水産大臣でしたら、自給率はこれ以上下げないでしょう。WTOのテーブルでも、国家安全保障の立場からも自給率を守る権利を主張すればいいのです。必要なのは、少しばかりの想像力とリーダーシップ、小額の追加投資だけです。

元木 サンキュー・ソー・マッチ。

3月26日
 国立で、嵐山光三郎さん主催の「立川志らくの会」が開かれた。会場になった地元の名酒店「せきや」ビルの会場は満員札止め。
 終わってから、近くに最近できたという「権八」で二次会。この店は、西麻布にあるデラックス居酒屋「権八」の国立店だ。
 ジャズメンの中村誠一さんから、ニューヨーク在住のジャズ・ギタリスト伊東忍さんを紹介される。ギターはウエス・モンゴメリーばりで、作曲もする素晴らしい才能を持った人だという。今度、演奏会があったら、是非行きますと約束して、CDをいただいた。
 家に帰って早速聞いたが、アコースティックじゃない、やわらかな旋律がとっても心地いい。彼の生演奏を聴くのが楽しみだ。

3月28日
  帝国ホテルで開かれた故杉山博さんの「偲ぶ会」へ出る。杉山さんは講談社で文芸畑を歩いてきた人だ。その後、私のいる三推社の社長になったが、ガンに冒され、亡くなる10年間は、病院を出たり入ったりの生活が長かった。
 多くの作家たちが参列してくれたが、の途中で、気分が悪くなったので、失礼して帰途につく。

3月29日
 下井草の「珈琲館」で本田靖春さんの奥様とお話しする。本田さんの「我、拗ね者として生涯を閉ず」が、2万部を超えた。この手の本としては、素晴らしい売れ行きだ。
 奥様は、「もし売れなかったら、講談社の皆さんに、どうお詫びしようかと思っていました」とおっしゃったが、いいものは売れるという見本のような本だ。
「実は」と、私は切り出した。「本田さんの書かれた本の中から、ジャーナリズムについて書かれたところを抜き出し、単行本にしたいのですが」。
 本田さんは、それほど多作ではないが、素晴らしいノンフィクションを残している。その中に、本田靖春のジャーナリズム論が、そこここに、さりげなく書かれてある。
  それに、生前、本田さんに某記者がインタビューしたテープも残っている。それらを集めて、「本田靖春のジャーナリズム論」としてまとめたいと思ったのだ。
 奥様は「少し考えさせてください。元木さんが出したいというのなら、本田もいいといってくれるとは思いますが、今回の本で、本田の名前の本は最後にしようと思っていますので」
 よろしくご検討くださいといってお別れした。比較的、お元気そうなので、安心した。
3月30日
 外国人特派員協会に宮里藍ちゃんを見に行く。
 小さいが可愛くて頭の良い子だ。「プレッシャーは感じたことはない」「日本は通過点」「メンタルトレーニングはやったことはないが、いつもポジティブに考える」「不動(裕理)さんは練習量が凄い。だから、私は不動さんより長く練習する」「私は英語が好きだから、外国に行くと、自分から話し変えたり、ハグするようにしている」「スコアメイクには小技が大事」などなど。
 聞いていて、オレに足りないのは、メンタルコントロールだと、今更ながら、反省させられた

4月1日
 桜いまだ咲かず。
 集英社の敏腕編集者で、辞めて出版社「マサダ」を興した吉田健城さんと、しばらくぶりに合う。
 落合信彦さんの本を中心に、一時は絶好調だった。私は、幻冬舎よりもいいのではないかと思っていたぐらいだった。しかし、数年前、億の借金をつくって倒産した。どうしているかと心配していたが、久しぶりに連絡があった。
 相変わらずダンディで、多少やつれてはいるが、持ち前の企画力や行動力で、フリーの編集者としてやっているという。何もできないが、後ろ姿に「がんばれ」と声をかけた。 「日刊ゲンダイ」の二木さんたちと、第二回目の「おかしいぞ! 検察、警察、裁判官」シンポジウムの打ち合わせのために四谷へ行く。前回の2月14日は、エジプトへ行く日だったので出られなかったが、大変盛況だったと聞いている。それだけ、司法の反動化が心配な人が多くなっているということだ。次回は、マスメディアの問題を取り上げることで一致した。
  ジャーナリストの亀井さんから、もう30年以上前に亡くなった斎藤龍鳳について、知っていることを話してくれと、インタビューされる。「何が粋かよ」は私の座右の書だ。「内外タイムス」が一番光り輝いていた時代の、花形記者で映画評論家。ヤクザ映画を語らせたら、斎藤ほど熱弁をふるう評論家はいなかった。寺山修司と双璧だったと思う。
 ライターの松田賢弥氏と、ノンフィクション作家の長尾三郎さんの事務所の「花見の会」へ行く。
 花はなくとも酒さえあればと、いい調子になって、松田氏と神楽坂へ。

4月3日 
  神楽坂の出版クラブで「憲法改正投票法案阻止」の会を開く。ノンフィクション作家の吉岡忍、吉田司さんや「創」の篠田さんたち30人以上が集まってくれた。
  ほとんどの人が、この法案について知らないようなので、弁護士さんから説明を受け、これから、どうやって反対の意志を伝えていくか、各自、意見を出し合った。
  終わってからも、一階のコーヒーショップの脇に集まって、侃々諤々。吉岡さんや吉田さんは、打ち合わせを兼ねて神楽坂でいっぱいやっていくというが、私は、そのまま家路に。

4月7日
  立川談志師匠が「白斑症」というノドに白いカビのようなものができて困っているというので、知り合いの「週刊現代」の古参記者に、耳鼻咽喉の名医を紹介してもらった。
  夕方、浜松町のビルにある医院へ顔を出すと、師匠は診察台に寝ていて、先生から説明を受けていた。
  先生の診断も、先週、新宿の病院で受けた「生体検査」の結果も、ガン化する可能性はごくごく少ないとのこと。何でも納得しないとダメな師匠も、ようやく、迷いが吹っ切れたようだ。
  実弟で、立川企画の社長の松岡由雄さんと一緒に、銀座の「宮」へ行って、よかったですねと「乾杯」。
  食道ガンを手術してからは、確かに、声の出が悪く、つばが出ないので、薬を飲みながらの高座だが、以前に比して、芸の凄味が増してきている。
  しかし、「今年は死ぬ死ぬ」といいながら、東奔西走、すごい仕事の量をこなしている。少し仕事を減らして、体に気をつけてくださいな、師匠。 

4月15日
  上智大学の「編集学」講義の初日。時間も教室も聞いていなかったので、「学事センター」で訪ねる。紀尾井坂館の107号だと教えられ、正門からかなり奥なので、開始3分前につく。 教室前に人だかり。まだ、前の授業が終わってないのだと思い、しばらく待つが、終わる様子がない。外にはみ出している学生に、ここは何の授業だと聞くと、編集学だという。私の授業ではないか。
  教室に入ってみると、40人ぐらい入れる教室は溢れ、外にまだ相当な学生が入れないで待っている。こんなに来るとは思っていなかったので、困っていると、昨年教えた学生が覗いてくれたので、彼に、教室を変えてくれるように頼む。
  別の教室へ移るもまだ入りきらず、結局、100人教室へ変わって、ようやく全員収容できた。
  あまりの多さにぼー然とする。この学生たちに手取り足取り教えるというのは、一体どうすればいいのか。正直に、それを学生たちに話して、次回から、少し考えてくるからと、とりあえず、出版界の現状と問題点などについて話す。
  こうした授業の場合、15人から20人ぐらいが適正人数だと思う。今回は、この時間をとろうかどうしようかという学生が多いそうだから、次回からは減るだろうが、それにしても、どうやって授業を進めていくか、考え直さなくては。

4月16日
  田原総一朗さんと歓談。久しぶりにお会いするが、以前より、顔の艶もいいし、舌の回転は相変わらず、素晴らしい。
  のっけから、「新聞というのは、池田内閣以来、すべて間違ってきている」と、凄いことをいう。これを検証したら面白いだろうな。
  いまの中国の反日運動は、これ以上は悪くならないというご託宣。なぜなら、日中首脳は、マスコミが思っているほど悪くはないからだそうだ。
  したがって、8月15日までの、靖国行きはない。靖国へ行くのは、秋だろうという。小泉首相は「憲法改正」はしない。彼がやりたいのは、国連の安保理の常任理事国入りだという。
  憲法改正を自民党がやりたくても、民主党が反対する。なぜなら、民主党の存在理由がなくなってしまうから。民主党が政権を取ったときが、憲法改正はやれるかもしれない。自民党が賛成すればだ。しかし、これも、自民党が賛成することはないだろう。してみれば、憲法改正は、私の目の黒いうちにはないと、田原さんはいった。
 これは面白い見方である。しかし、それで安心していると、何をしでかすかわからない危なさが、いまの政権政党にはある。油断は大敵、われわれ国民も、常在戦場である。

4月17日
 立川企画の松岡由雄社長のクルマで、作家の丸茂ジュンさんと山梨県北杜市長坂町中丸2072にある、清春芸術村観桜会へ行く。ここは、銀座の「吉井画廊」がやっている清春白樺美術館があるのだ。
 元学校だったところを美術館にしたそうだが、趣のあるアトリエがある宿泊施設や、ルオーや梅原龍三郎などの絵がゆっくり見られる館内は、素晴らしいが、もっと素晴らしいのは、ここからみる満開の桜と中央アルプスの景色である。
 周囲はすべて桜。それも、満開。その桜の向こうに、雪をいただいたアルプスの山々がそびえ立つ。日向に出ると汗ばむ。11時近くについて、赤ワインをグラスでいただきながら、桜を愛でる。これ以上何を望かという絶景である。
 昼から、立川志らくさんの落語を、満開の桜と、アルプス山脈をバックに、屋外で聞く。出し物は「子別れ」。志らくさんには悪いが、景色が良すぎて、さすがの名人芸も、桜吹雪に負けてしまう。
 夕方、鄙びた蕎麦屋で酒を呑みながら、松岡社長に、「子別れ」も良かったが、あの満開の桜の下で、「長屋の花見」をやってほしかったなと話した。
 これ以上ない桜の花の下で、長屋の花見がどう演じられ、聞く側が、どう感じるか。二度とないかもしれないシチュエーションだから、やってほしかったな。 

4月19日
 中国や韓国で「反日運動」がもの凄い勢いで広がっている。
 武田泰淳の「上海の蛍」には、中国の作家陶晶孫がT氏という名前で出てくるそうだが、彼がこう言っている。
「日本は、やらずぶったくりだよ。くれたのは日本精神だけさ。米英人は、ギブアンドテイクだ」 
「実話ナックルズ」の久田編集長の司会で、朝倉喬司さんと福田和也さんと鼎談。場所はゴールデン街の「しん亭」の3階。本田靖春さんのことから始まって、ノンフィクションの歴史から作法、日中関係まで、多岐にわたり、至極、私にとっては楽しい放談会になった。

4月20日
 ノンフィクション作家の吉岡忍さん、吉田司さんらと、「国民投票法反対」の運動をどう進めるかの打ち合わせ。
 8人の憂える志士たちが、様々な意見を出して、アッと驚く結論になった。
 その詳細に関しては、近々、ここでも公開します。乞う、御期待。

4月21日
 神楽坂の毘沙門天の中の「天書院」で、「志らく春の会」が開かれる。
 出し物は、前半が「二十四孝」仲入後が「宿屋の富」。
「天書院」は落語をやるには最高の場所だが、一つだけ欠点がある。それは、真ん中に大きな柱が立っていることだ。その陰になると、演者の顔が見えないのだ。ちょうどその席に座ってしまったため、志らくさんの姿が見えないのだが、そのために、声だけで想像するのだが、昔のラジオ中継を聞いているみたいで、かえって面白く聞けた。
「宿屋の富」が秀逸。

4月22日
 劇団四季の「自由」で「思い出を売る男」を見る。時代は終戦直後。サキソホンを吹いている若い男がいる。彼の仕事は、通りかかった人に、その人の思い出に残る曲をリクエストしてもらい、その音楽を聴きながら、その人が楽しかった頃を思い出してもらおうというもの。
 亭主に死なれ、子どもと生き別れになってしまった女、アメリカに恋人を残してきた占領軍米兵、記憶をなくしたヤクザが吹く「巴里の空の下」など、あの、貧しく、楽しむもののなかった時代を思い起こさせてくれる。ラストが、少し尻切れトンボだったのが、やや不満。

4月23日
 花田紀凱さんがやっている「マスコミの学校」で講義。その後、ノンフィクション作家の長尾三郎氏と懇談。

4月24日
 版画家の山本容子さん主催の「東京競馬場で立川志らくの必勝馬券術を見る会」へ行く。 久しぶりの東京競馬場は快晴で、最高の競馬日和。
 11時半、メモリアルホールの7階の「ローズ」の部屋へ。すでに、容子さん、岡部憲治さん、立川志らくさんたちは到着していて、東京・福島・京都の3レースを買っていた。 私は、上がってくる前に4レースを武豊の馬から「馬単」で流して当てていたので、容子さんの事務所のスタッフお手製の「料理」をいただきながら赤ワインを飲む。
 目の前に広がる新緑と青空、それにうまい料理とワイン。馬券など買う気にならないが、今日はフランスから短期免許で来ているデザーモ騎手を狙うと決めている。この騎手、武豊や安勝より腕はいい。昨日も6鞍乗って4勝している。
「デザーモ」「蛯名」「後藤」と絶叫する。結果は8レースやって6勝2敗。当たった割りには儲けは少なかったが、最初に2000円出しただけで、後は競馬界のお金で楽しんだのだから、こんな愉快なことはない。
「志らく杯」と名付けた第10レース、難しいハンデレースだが、各人が1000円ずつ出して志らくさんに預け、彼が予想するというもの。難解なこのレースを見事的中させ、3万円のプラス。
 京都競馬場では、三連単で100万円が飛び出し、一同呆然としたが、最終レースでなんと250万円が出現して、再び呆然。
 終わってから、容子さん行きつけの「勇鮨」で歓談。  

4月26日
プロ野球黒い霧事件で永久失格になった池永正明さんの処分が解除されるらしい。毎日新聞によれば、「プロ野球のオーナー会議が16日、東京都内のホテルで開かれ、八百長や野球賭博で永久失格になった元選手らの処分解除を認める野球協約改正を正式承認した。来月15日をめどに具体的な手続きを決め、申請を受け付ける。根来泰周コミッショナーは「社会常識から言って、(解除規定がないのは)問題がある」と改正理由を説明した。これによって、69年に発覚した野球賭博に絡む八百長疑惑「黒い霧事件」で永久失格処分を受けた元西鉄エースの池永正明さん(58)らの処分解除への道が正式に開かれることになった」
 私がこの仕事に入る直前に起こった事件だった。巨人大好き、長嶋大好きだった野球青年は、西鉄はともかく(失礼)巨人のONまでが暴力団との交際や銀座のバーの女を取り合ったなどという「醜聞」には、驚き呆れるしかなかった。
 先輩たちからこう聞いた。プロ野球の選手だって芸能人と同じ。タニマチに頼まれれば、嫌とはいえない。それにONは結構女好きで、銀座では浮き名を流しているんだ。
  いまよりもっと純真無垢だった私には、到底信じるわけにはいかないスキャンダルだったが、先輩やベテラン記者たちに寄生虫のように張り付いて、関係者から話を聞くうちに、「球界の紳士たれ」という巨人の選手でも、同じ人間なんだということが、朧ながらわかってきた。また、それを知っていて書かない、書けない野球担当の新聞記者たちの不甲斐なさも知っていった。スポーツマスコミにジャーナリズムがないのは、いまも変わらない。
 不世出の大投手・池永の八百長事件は「報知新聞」がスクープしたため、当時、一部のマスコミでは、『陰謀説』が囁かれていたようだ。作家の佐野洋氏は「現代」の1970年6月号でこう推理している。「読売が北九州で部数を伸ばすため、地元紙西日本新聞系の西鉄を叩こうとしたものだ、またジャイアンツはかねて九州地方を準フランチャイズにしたいとの希望をもっていたため、八百長事件で西鉄球団を揺さぶり、場合によっては合併しようとしたのではないか。そして、これはセ・リーグの商売仇であるパ・リーグのマイナー・リーグ化にも役立つ」
 真偽はともかく、池永がそのまま投手を続けていたら、どれだけの勝ち星を挙げていただろう。ゴルフのジャンボ尾崎は、投手で西鉄に入団したが、池永を見て、この男がいては到底勝てないと思って、野球をあきらめ、ゴルフへの道を選択した。
 それほどの男の「不運」を、追放以来辿ってきた人生に思いをいたすとき、目頭が熱くなる。
 夜、パレスホテルで開かれた「共同PR」のジャスダック上場記念のパーティに出席する。1200人の人人人で身動きがとれないほどだ。
 珍しい人にあった。電通の雑誌局次長だった鳥居達彦氏だ。最近結婚した外科医だという奥様も一緒だった。鳥居氏は、一昨年、電通を辞めて武富士会長のたっての頼みで武富士へ移ったが、例の騒動で、辞めてしまって以来、会っていなかった。
 近々、再会を約して立川談志さん、山藤章二さん、吉川潮さん、立川志らくさんの座談会とサイン会をやっている新宿の「紀伊國屋ホール」へ。
 ここで、立川談志さんの小咄を一つ。「ロシアン・ルーレットならぬアフリカン・ルーレット」
「ロシアンルーレットって、映画の「ディア・ハンター 」でクリストファー・ウオーケンが、拳銃の中に一発だけ弾を込めて、一人ずつこめかみに当てて撃っていくやつがありますな。
 すると、横にいたやつが、うちにもあるんですよ。「お前さんはどこの人だい?」「アブリカなんですよ、アフリカン・ルーレット」
「へー、どうやるんだい?」「やり方は同じなんですが、うちは美女を使うんです。いいえね、真ん中に男が立って、周りを六人の美女が取り囲むんです。それで、一人の美女の前に立つと、その女が口でサービスしてくれるんですよ。(尺八を吹くようなかっこをする)」「それじゃ、なんでアフリカン・ルーレットっていうんだい?」
「いや、なにね、その中に一人、人食い人種の女がいるんですよ」

4月27日
  大正大学の今年初めての講義。

4月28日
 神楽坂で、「国民投票法」絶対阻止の呑み会。吉田司、吉岡忍、日名子暁、森達也など8人が、名案、珍案を酔いに任せて侃々諤々。
今回は、前回の「個人情報保護法案反対」のように、表現や言論の自由を旗印にするのではなく、沖縄、韓国、中国はもちろん、アメリカやドイツまで引き込んだ、グローバルな運動をしていこうということが大筋で決まった。

4月30日
 川原経営総合センター代表の川原邦彦さんが亡くなった。享年66歳。早すぎる死だった。
 弁舌さわやかで、とっても明るい人だった。呑むことが好きで、昔はちょくちょくお相手させていただいた。川原さんは、病院経営のコンサルタントとしては草分けで、講演のために全国を飛び回っていた。バブルが弾け、「病院経営も苦しくなってきてね」と、内情を話して聞かせてくれる得難い人だった。
ニコニコして、「モッチャン」と大きな声で呼んでくれた人が、また一人いなくなってしまった。寂しい。

 

#64 週刊誌戦国時代!どこが抜け出すか

05.08.21 up

5月4日
私の英語の師匠、MR.C.ギャフニー夫妻と向ヶ丘遊園のNさんのお宅へお邪魔して、N家の前庭で開かれた“大バーベキューパーティ”に参加する。
抜けるような五月晴れ、心地よく吹き抜ける風、うまいワインと素晴らしい肉の競演。1時から始ったが、夕方には、ギャフニーさんと私は泥酔一歩手前。
ニューヨーク近くのコネチカットの浜辺でやったバーベキューパーティを思い出しながら、去りがたい気持ちを抑えて、小田急で帰還。
5月5日
「Shall We Dance?」を見る。リチャード・ギアが格好いい。ラスト近く、黒のタキシードに黒い蝶ネクタイのギアが、デパートで働く妻をパーティへエスコートするために、エスカレーターに乗って上がってくる。その手に、一本の深紅の薔薇の花。素晴らしい演出。 
昔見た「007」の冒頭、ジェームズ・ボンドのショーン・コネリーが、船に上がって潜水服を脱ぎ捨てると、真っ白なタキシードが下から現われるシーンがあったが、あの格好よさに匹敵する。ジェニフアー・ロペスがこれまた素晴らしくきれいだ。
日本版よりも楽しませてくれた。大根俳優だが、あれだけ格好良くてダンスがうまければ、すべて許せる。
5月6日
上智大学を終わって、マス研の猪坂豊一氏主催の呑み会に出席。駐日韓国大使館の金龍虎さん、「週刊新潮」の許政志さん、アルテ・ヴィータのソティリオス・ソティリウさんなど、いつもながら多彩な人たちと、日韓関係から日中関係までを話し合うが、途中から酩酊してきて、支離滅裂になる。いつものことながら、困ったもんだ。
5月8日
足利市の「フラワーパーク」へ世界最大級といわれる藤の花を見に行く。樹齢200年近くという藤は満開になると花が160センチにもなるという。生憎、快晴ではなかったが、300本近い見事な藤の花と、白い藤のトンネルを堪能する。
5月9日
四谷で、7月4日(月曜日)に開催する「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」のPART2(文京区のシビックホール・6時40分開演)の打ち合わせを、日刊ゲンダイの二木さん、「週刊金曜日」の北村さん、「世界」の岡本さん、「創」の篠田さんたちと。
今回は、大メディアはなぜ司法の反動化を書かないのか、書けないのかをテーマにする。入場料は資料代として500円ぽっきり。
打ち合わせが終わって外に出ると、山本容子さんから電話。至急会いたいとのこと。
今日中に書き上げなければいけない原稿があったのだが、容子さんのお招きとあらば、ええいままよと、指定された銀座の寿司屋へ直行。
諸々の相談これあり。冷酒を二人でグイグイと呑んでいると、6日に目出度く入籍したというA氏が現われる。
またまた、3人でグイグイ。その後、ヤナセの裏にあるカラオケスナックに席を移して大カラオケ大会。容子さんとご主人は、見事な英語でジャズからスタンダードまで歌いまくる。私はいつもの裕次郎でお茶をにごし、アツアツの二人を残して退散する。お幸せに!
5月10日
「CM総合研究所」の関根建男さんと対談。関根さんは日本の草分けのCM研究者だ。ビデオリサーチなどが分析できない「CM好感度調査」などユニークな調査で知られている。
夜は、先日会った、鳥居さんと今井照容さんと六本木で食事。武富士に行って苦労した話しを肴に、談論風発。
終わってから、六本木の交差点のすぐ近くの地下、「ADVENTURE」へ。ここはプロのエレキギターの伴奏で歌えるという珍しい店。
鳥居さんはギターの名手だが、この日は歌だけ。私はロックもブルースも歌えないので、ここでも裕次郎の「北の旅人」を歌う。エレキで演歌、最高の気分だったのは私だけだったようだが、大満足。
5月11日
雑司が谷へエッセイストの坂崎重盛さんの講演を聞きに行く。坂崎さんは人生の生き方の達人だが、この日も、私にとって、これからの人生のヒントが一杯聞けた。
途中抜け出して、大正大学へ。
5月12日
山本章さんにお会いしに、小学館へ。私と今井照容さん他2名で昼食をおごっていただく。山本さんは小学館の偉いさんだが、現在一番嘱望されている小説家山本音也でもある。最近上梓した「抱き桜」(小学館刊)が直木賞になるのは間違いないと、今井さんイチオシの人なのだ。
私のような訳のわからない初対面の者にまでニコニコと親切にしてくださる。一度、ゆっくり、山本さんの編集者生活について聞いてみたいものである。(後記。「抱き桜」読む。素晴らしい。終戦後、貧しい子ども二人が出会い、別れる一夏の物語だ。中上健次よりも宮本輝の「泥の河」に似ていると思うが、私の子どもの頃を彷彿とさせる、悲しくも温かい物語だ。近鉄吉野線の「大和上市」にある「抱き桜」と呼ばれる桜の巨木が印象的に使われ、北原白秋の「鞠もちて遊ぶ子どもを鞠もたぬ子ども見惚るる山ざくら花」〈雀の卵から〉という歌が効果的だ)
夜、法政大学で講義。
5月13日
上智大学の講義を終えて、立川企画の松岡社長、アルファー通信の豊田社長と、生肉を食わせる居酒屋、「やっちゃん」へ行く。この店は十数年来食べに来ているが、東京でこれほどの肉を刺身で食べさせる店は他に知らない。
中野哲学堂の近くの住宅街の一角だが、8時近くにつくと、私たちの席だけ空いていて、満員だった。
牛タンの刺身をわさび醤油で食べたが、これが絶品。煮込みはテイクアウトでき、近所の人が会社帰りに買っていく。
5月14日
神楽坂で吉田司、吉岡忍さんたちと「国民投票法案反対」の謀議。謀は密なるをもってよしとするのだが、いつまでもそうはいってられない。行動あるのみ。
「国民投票法案」は憲法改正への一里塚に過ぎない。平和主義を守るのはもちろんだが、日本国憲法の一番大事な「主権在民」が忘れ去られているいま、このことを大きく謳っていこうと、少しずつ酔いしれていく頭で、もう一度確認する。
会の名前は「主権在民日本委員会」。英語名は「Power to the People committee Japan」と決まった。
もし、憲法改悪があれば、この国の100年のかたちを決めてしまうことになる。それも軍事大国、侵略戦争可能な国としてである。 
そういえば、ブッシュ大統領が、国連大使に超保守派のボルトン氏を指名してきた。
アメリカ一国主義を国連でも貫こうという、ブッシュたちの陰謀がいよいよハッキリしてきた。北朝鮮の制裁問題を含めて、ますますきな臭くなってきている。
ボルトンに関するブログを探していたら、以下のようなものが見つかったので紹介する。  
「(中略)ボルトンの国連大使承認を支持する保守派の組織から次のようなメールが届きました。少し長くなりますが、以下に紹介します。
「『私はプロ・アメリカンである』・・・その言葉は、できるだけアメリカの利権を守り、世界の守護神というよりもアメリカの擁護者として自分を見ているということを意味する。それは素晴らしい響きを持っているではないか。もしアメリカの国連大使がそうした発言をする人物であれば、さらに素晴らしいことである」(フリーライターの中岡望さんのHPからの引用)
小泉日本は、こんな連中の仲間になって、世界支配をしようというのか。崩壊の兆しが見えたアメリカの断末魔に巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。
5月17日
相変わらず、出版界に元気が戻ってこない。低迷している理由はいくつもあるが、最大のものは、編集者を大事にしない出版社は、いくらトップが尻を叩いて、「売上を上げろ!」と大声を上げても、編集者は動きはしないということだ。
大切なのは、野球でピッチャーがいなければ試合は始まらないように、出版社は編集者が要なのだということを会社全体に浸透させ、公平な人事をすることだ。
それがわかっていない出版社が多すぎるのではないか。
小学館の相賀徹夫さんはこういっている。「小学館には三つの自由がある。発言の自由、冒険の自由、失敗の自由がそれだ」(櫻井秀勲著「戦後名編集者列伝」編書房刊)
失敗を恐れる編集者が増えていては、冒険などできはしない。
5月18日
久しぶりに「代々木NARU」に顔を出す。ボーカル・城所暁子、ピアノ・出口誠、ベース吉田豊のトリオ。初めて聞く人たちだ。
上智大学の「ソフィアンズクラブ」で少し呑んできたので、ジントニックをチビチビ呑みながら、演奏を待っている。
城所さんは20代後半ぐらいだろうか、雰囲気がとってもいい。声量はないが、歌い方やフィーリングが“ニューヨークのため息”ヘレン・メリルに似ている。
ほろ酔い加減で聞いていると、ゆらゆらと彼女の歌に合わせてたゆたっている自分が、とっても気持ちいい。ピアノの出口さんとはカウンターで、休憩時間に少し話ができた。
これからの可能性を感じさせる演奏家たちだ。
残念ながら、城所さんとは、帰りしな、眼で挨拶しただけだった。翌日、早速、彼女のスケジュールを調べてみたが、ほとんど載っていない。町田のボーカル教室で教えているらしい。こうなったら、「Shall We Dance?」のように、ストーカーに(?)なって、町田まで行って、生徒になろうか。久しぶりに、私にはとってもインパクトのある女性シンガーだった。
5月20日
上智大学の講義で「インタビュー依頼の手紙の書き方」を教える。ここで使うために便箋と封筒を持っていったが、その便せんの中に、きれいな萌葱色のものがあった。その名も「萌え」。
学生にそれを見せると、「えーっ!萌えじゃないですか」と大喜びする。秋葉原を中心に広がってきた「萌え」ブームは、ここまで浸透していたのかと、自分の時代遅れを恥じ入る。以下に、萌え市場を考えるという毎日新聞の記事がある。私同様、流行に敏感じゃない人のために引用しておく。
(毎日新聞 2005年5月17日『「萌え」市場を考える 2〜3兆円規模に』より)
「浜銀総合研究所(横浜市)が先月、市場調査結果を発表したが、その対象は「萌(も)え」で、市場規模は888億円だという。ステレオコンポの出荷額や、携帯電話の着信メロディー・歌とほぼ同水準だから、あなどれない数字だ。
「萌え」は、いわゆるオタク層の中でも、特にアニメの登場人物のキャラクター(容姿を含めた性格全般)をめでる人たちを「萌える人」「萌え層」などと区別して呼び、「○○ちゃんに萌え萌え〜」などと使うのだという。93〜95年ごろ、インターネットのチャットの中で使われ出し、“市民権”を得、昨年の流行語大賞のひとつにもなったが、その語源については定かではないという」
萌え市場はすでに相当な規模らしいが、中でも秋葉原がそのメッカらしい。識者にいわせれば、つらい現実を一時的にでも忘れるために、漫画やアニメの中のキャラクターを楽しもうというのだそうだ。
しかし、最近の少女監禁事件の小林泰剛容疑者ように、自分のことをご主人様と呼ばせたり、王子様と呼ばせる事件が起きると、「萌え」が犯罪の温床だという見方も出てくる。それが、彼ら、「萌え」族にとっては、困ることだし、彼らは誰も傷つけたくないし、傷つけられたくないと思っていると、この記事の中で書いてある。
「おたく」が「萌え」に変化したのだろうが、中身がどう変わったのかは、私にはわからない。 
夜、「プレジデント」の編集長に就任した長坂嘉昭さんのお祝の会が、人形町の牛鍋屋「大和」で開かれた。
42歳の働き盛りだ。私と違って、一見紳士風だが、体には熱い血が滾っている人だ。彼がやる雑誌はますます面白くなるはずだ。
ちなみに、「プレジデント」はABC販売部数調べで16万4千部。
これは'04年の7月から12月までの数字だが、週刊誌は軒並み部数が大暴落している。「週刊朝日」は23万5千で5千部の落ち込み、「サンデー毎日」などは8万部で1万7千部も落ちている。注目の出版社系は、「週刊文春」が5千部伸びて、59万部でトップ。「週刊新潮」が1万8千部落ちてはいるが、52万部で第二位。三位が、わが「週刊現代」で3万5千部落ちて49万2千部。最下位は7万9千部も落ちた「週刊ポスト」で47万6千部。おそらく、「週刊現代」「週刊ポスト」ともに、創刊の一時期を除けば、最も落ち込んだのではないか。
両誌共に、「ヘア・ヌード」や「袋とじ」が部数を稼げなくなったための落ち込みだといわれているが、そうではない。「ヘア・ヌード」に部数を頼み、それに安閑として、記者や編集者を育てなかったために、企画力も取材力も落ちてきた「結果」なのだ。
「週刊文春」も「週刊新潮」もそれほど誇れる部数ではない。全体に落ち込みながら、それが少なかったものが上位にいるだけなのだ。
私が「週刊現代」('92年)を引き受けたときも、「活字総合週刊誌の時代は終わりだ」といわれていたのだ。   
併し(私の好きな作家、車屋長吉はこの字を多用する)、このままでは、このうちの一誌か二誌が休刊になるかもしれない。こういうときこそ、編集部に対する会社側のサポートが重要になってくる。
追いつめられたときこそ、真の力量がわかるのだ。他人事のようなことをいって申し訳ないが、「週刊現代」と「週刊ポスト」、どちらが地獄から生還してくるのか。ここが正念場だ。両編集長の企画力に期待しよう。
5月24日
読売新聞社報をパラパラ見ていたら、4月1日付で、産経新聞で女性の論説委員長が誕生したとある。
千野境子(けいこと読む)さんで、日本の新聞では初めてになる。1967年入社というから、私より3年早く社会に出ているが、その後がすごい。外信部長を歴任し、'98年にボーン・上田記念国際記者賞を受けている。私が年来主張している、マスメディアほど女性差別の激しいところはないのだが、いよいよ、マスコミ界も女性の時代がようやく来るのかもしれない。
5月27日
毎日新聞の敏腕社会部記者・小国綾子さんが、講談社から以下の内容の本を上梓した。小国さんは、自分もかつて「リストカッター」だったことをカミングアウトし、そうした経験者であるからこそ、自傷する若者たちの気持ちを理解でき、心のひだの奥まで分け入って、貴重な「魂の声」を聞き出した。大宅ノンフィクション賞ノミネート間違いなしの力作です。
「魂の声 リストカットの少女たち 私も『リスカ』だった」(講談社)
この本は、元自傷者で新聞記者でもある私が、リストカットする少女や若者を取材する中で、自分自身の自傷していた過去と向き合って書いた本です。
取材を始めたのは2004年の1月。それまでリストカットは取材者としてとても気になるテーマだったにもかかわらず、「元自傷者が冷静に取材者としての視点を失わずに取材できるはずがない」と避けてきました。でも、思った以上に最近、中高生の女の子の間でリストカットが増えていることを知り、また、リストカットが「他人の目を引きたいだけ」とか「自殺の軽いやつでしょ」などと誤解されている現実を知った時、かつて自傷を繰り返し、今は取材者として子どもたちの問題を取材している私が、リストカットの問題から逃げていてはいけない、と思ったのでした。
30人以上のリストカットする少女や若者へのインタビューに加え、親の側からも取材をしました。昨年の秋には新聞に連載したところ、大きな反響がありました。ほとんどが今あるいは過去に自傷している経験者からで、年齢層も中学生、高校生から20代、30代まで多岐にわたりました。学校でも家庭でも「明るくて元気な子」と誰もが信じているような、普通の中高生もいっぱいいました。私の新聞記事を思い切って母親に見せたら「あなたの学校にこんなことしてる子はいないでしょうね!」と言われた、という中高生が何人もいたのが印象的でした。多くの子が「生きるためにリストカットしてる」と語りました。
決して冷静に取材できたわけではありません。睡眠薬を大量に飲んだ子からの電話で朝まで眠れなかったこともあれば、高校時代の私にそっくりなリストカット少女に入れ込んで取材者としての立場を忘れそうになったり、取材中に私のほうが打ち明け話をして不覚にも泣いてしまったことすらありました。元自傷者の私に何ができるんだろうと壁にぶつかるたび、背中を押してくれたのは、取材相手のリストカットする子どもたちでした。彼女らは私を見て、「リストカットしても新聞記者になれるんですか?」「自傷してもいつかお母さんになっていいんだ!」と驚きました。それほどに将来への夢を失っていたのです。そんな子どもたちに「切ることで生きられるなら、今は切ったっていいよ。でも人と出会うことだけはあきらめないで」と伝えたくて、この本を書きました。(小国綾子)
5月28日
「神楽坂まちの手帖」を出している講談社先輩、平松南さんが主催している法政大学の「編集講座」で、二時間、「企画の生み出し方」について講義する。
簡単にベストセラー本が生み出せるなら、こんな楽なことはないが、そんなうまい方法があるはずがない。
企画を考える上での参考になればと、いくつかのヒントを話す。
5月29日
「ダービー」。久しぶりの東京競馬場。受付で入館証をもらってエレベーターで上がると、新潮社の石井昴さんとバッタリ。相変わらず、黒ずくめで格好良く決めている。
この日は、ダービー以外に狙い目のレースはない。6レースから、馬単で少しずつ遊んでいるだけ。武豊の調子がとってもいい。デザーモ、安勝はいまいち。
午後からのレース、1番人気がバタバタコケける。この流れなら、あのハイセイコー以上の単勝シェアで、110円しかつかない超ダントツ一番人気のディープインパクトは間違いない。
相手は連ヒモだが、二番人気のインティライミと三番人気のダンツキッチョウには気が入らない。裏街道組が皐月賞組より強いとは思えないからだ。
パドックでもインパクトが断然いい。問題はスタートと4コーナーでどこを通るかだが、今日の武豊なら心配あるまい。インパクトから皐月賞でお世話になったシックスセンス、2歳チャンピオンのマイネルレコルト、末脚がいいニシノドコマデモ、シンザン記念の勝ち馬ペールギュント、皐月賞三着馬アドマイヤジャパンで勝負。
インパクトはいつも通りスタートで出遅れる。しかし、さすが豊だ、あわてず後方でゆったり流れに乗せていく。いつ、どこで外へ出すかが勝負の分かれ目だが、3コーナーを回ってもまだ動かない。4コーナーにさしかかると横に並んでいた馬が失速したのを見て取り、ゴーサインを出す。インパクトは弾かれたように大外をまくって上がってくる。次元の違う脚色で10番手でコーナーを回り、直線に向くと内で粘るインティライミをあっという間にかわし、先頭に躍り出る。後は一人舞台。
5馬身差の圧勝で、二冠を制した。ゴールを過ぎて、豊のガッツポーズが出た。
インパクトの強さばかりが目立った見所のないダービーではあったが、これまでの名馬、トウショウボーイ、シンボリルドルフ、ミスターシービー等々に比べても、遜色ないというより、もしかしたら、史上最強という名称がつくかもしれない馬だ。
順調にいけば、菊花賞は間違いないだろうから、ジャパンカップ、有馬記念で古馬相手にどんなレースをしてくれるのか、久しぶりに楽しみな馬が出てきたものだ。
戦いすんで日が暮れて。最終レースはデザーモ騎乗の馬で的中させるが、単勝1.8倍の馬が勝っても配当はつかない。いつもなら競馬場近くの焼鳥屋でちょっと一杯といくところだが、今日はおとなしく、すし詰めの京王線で新宿へ戻る。あーあ疲れた。
6月2日
法政大学の講義を終えて、大急ぎで、お茶の水のイタメシ屋で開かれているマガジンハウス・大島一洋さんの定年を祝う会に行く。
店に着くと、お開きになったばかりで、嵐山光三郎さんや坂崎重盛さん、岡部憲治さんたちが残っているだけだった。
ワインを一杯飲むと、二次会の会場「左々舎」へ連れ立っていく。
坪内祐三さんや山本容子さんたちで一杯。遅れてきたんだから、おまえが挨拶しろと、割り箸をマイク代わりに一席。大島さんは「火宅の人」なんだから、余生を楽しむなんてことは考えずに、大いにこれからも、われわれ編集者のために教え導いてください、などとウダウダ。
大島さんは、文章を読む達人だから、いろんな出版社から、文学賞の下読みの仕事などがいっぱい来ていて、大忙しだという。うらやましいことだ。
こちとらみたいに才能のない奴は、定年後をどう過ごせばいいだろうか。暗澹たる気持ちを酒に隠して、ことさら明るく振る舞う。
ここから、神保町の「人魚」へ繰り込む。みんなよく呑み、しゃべる人たちである。1時過ぎ、ようやく解散。9時過ぎから呑んだのに、いささか酩酊した。
わが定年後に幸多かれと、一人ごちた。
6月3日
上智大学の学生30数人と懇談。女性が8割だからか、男子学生は固まってしーんとしている。いやはや、女の時代だ。
6月5日
恒例のゴルフコンペ「三土会」へ参加。いつもながら、天気晴朗なれどもゴルフ波高し。
挨拶で、自分に今必要なのは、ゴルフのレッスンではなくて、精神修養、マインドコントロールをこそやらなければ、いつまで経ってもスコアはよくならない。勉強して出直しますと話すと、あちこちから、そうだそうだの声。いやはや、参加者34人中24位では、それ以上いうべき言葉もない。
6月7日
外務省のラスプーチンと謳われた佐藤優氏と話す。以下は、経済誌「エルネオス」のインタビューです。
【メディアを考える旅】
「国家の罠」(新潮社刊)が話題になっている。既に10万部に近いという。書いたのは外務省の凄腕分析官で、“ラスプーチン”と恐れられた佐藤優氏である。
彼は鈴木宗男元衆議員の信頼を得て、ロシアと北方領土返還と、その前提になる平和条約締結を2000年までに実現しようとねばり強い交渉を続けたが、果たせなかった。
小泉政権ができて、田中真紀子が外務省に乗り込んできた頃から、流れが変わっていく。宗男の力で真紀子を追い出すことに成功すると、外務省幹部たちは、絶大な権力を持っていた宗男も排除しようと画策する。
宗男逮捕の突破口にするため、佐藤氏をイスラエルの学者を外務省の予算で過剰接待したという微罪で逮捕し、徹底抗戦する佐藤氏を512日間も拘留する。逮捕後三日目に、担当検事から「これは国策捜査だ」と聞かされる。
彼によれば、「国策捜査」とは、国家が自己防衛の本能に基づいて、検察を道具にして、政治事件を作り出していくことだという。
ストーリーは決まっていて、ジグソーパズルのように後は埋めていくだけなのだ。あれほど大騒ぎした「宗男事件」とはいったい何だったのだろう。一審で宗男に下された判決は、地場産業からの収賄、それも1千万円でしかなかった。「売国奴」「疑惑のデパート」と罵られた結果が、これなのだ。
私は、宗男のような「利権政治屋」は嫌いだし、佐藤氏も虎の威を借るようなところもあったと推測する。しかし、国益のために身を粉にしてきた人間を、このような形で抹殺していいのだろうか。
司法のあり方が問われている今、この本は、人を裁く難しさを改めて考えさせてくれる。

元木 本を出して周囲の空気含めて変わりましたか?
佐藤 一番コアな部分は変わらないですけれど、一番変わったのは外務省の中からの連絡がすごく多くなりましたね。私とあまり仲良くなかった、知らない連中がスキャンダル系の話持ってきますね。
市村 今度は逆利用しようというのですか?
佐藤 とにかく不満をぶちまければ、それによって何か恨みを晴らせるんじゃないかと。この組織は相当病んでますね。
元木 この本の面白さの一つは、西村という検事との丁々発止と、裁く側と裁かれる側の男同士に友情が築かれていくところですね。
佐藤 西村検事が優れた人間だったからですよ。あの検事のいたことを、僕は残しておきたかった。彼は一言も余計なことは言わなかったけど、私とやった以上は表に出ることはあると、彼は覚悟してたと思います。彼自身、今の検察のあり方がおかしいということを外に出したかったんですよ。
元木 鈴木宗男さんとは会っているんですか?
佐藤 会ってます。最近、鈴木さんと話してて、以前と変わったのは、個人情報保護法とか人権擁護法案を、彼は非常に危険視してるんですよ。ストーカー事件なんかで一般人で被害者になった人はともかく、自ら手を挙げてなった政治家や高級官僚、こういうような人達の隠れ蓑にしないようにするべきだといっています。
元木 佐藤さんが「微罪」逮捕されると、外務省の人間が、次々と、佐藤さんに不利な証言をしていきますね。
佐藤 基本的にこの本に書いたことに付加することはないと考えているんです。それに、当事者というのは、私含めて案外見えないものなんです。例えばこの中に出てくる一人のキーパーソンは、倉井高志(?)さんという人なんですよ。この人はロシア支援室長で、われわれが企画をしても、この人がサインをして支援委員会という所に命令を出さなければ絶対にお金は出ないんです。じゃあ、この人はどういう供述をしてるかというと、「違法だと思ってたが、怖いし、その後ろに鈴木の力があって、人事の不利益を被るかもしれない。だから違法とわかっいてもサインをした」となってるんです。仮にそれが正しいと認めましょう。しかし、鈴木さんよりもっと怖い人いますよ。例えば北朝鮮の金正日、あるいはロシアのプーチンは、鈴木さんより怖いと思う。そういう怖い人がいれば、日本の国益に反するような文書にでも署名することになるわけです。そういう人は外交官としての資質がないんですよ。怖くたって違法なものは違法なんです。そう外に対してキチンといっていれば絶対勝てるんです。
元木 鈴木宗男という大変に有能だけれども、「天下人」ではない。彼程度の人間を排除するために、なぜ、「国策捜査」までしなければならなかったのか。もう一つ、私にはしっくりこないんですが。
佐藤 どういう説明をすればいいかな。まず鈴木さんに関しては確かに「天下人」じゃないんですよ。だから今回の鈴木騒動の中で、鈴木さんは「故意に」大きくされてしまった。歴史にはそういった例はたくさんあります。例えば「アイヒマン裁判」がそうです。「アイヒマン」というのは鉄道関係のごく限られた部分の責任者ですが、「アイヒマン裁判」の中でいつの間にかものすごく大きい存在、ヒトラーと同格ぐらいにされちゃったわけです。田中真紀子さんとぶつかったが故に、そういった「巨悪」のイメージができちゃったんでしょう。田中さん自身も天下人じゃないですが、彼女自身も、メディアによって非常に肥大化されてしまった。要するに「シンボルをめぐる闘争」になってしまったんです。
元木 それにしても、あの頃の宗男バッシングは凄かったですね。
佐藤 鈴木さん側に、現行の法規の中では許されないレベルのダーティな部分があれば、もっと簡単に捕まってましたよ。鈴木さんの秘書を捕まえて、ガサかけて揺さ振りゃあ何でもできた。ところが、鈴木さんがキレイ過ぎたんです。だから、脇から攻めていかないといけなかった。特に外務省がらみの疑惑だから、外務省を揺さ振ってるみたんです。そしたら、外務省の連中はみんな逃げたいので、逃げるために一番いいのは、スターリン時代のロシアの諺に「告発者は告発されず」というのがあるんですが、他人を告発すればいいんです。私はそうやれと上司からいわれましたよ。「鈴木さんを告発する側に回れ」。そうじゃないとお前がやられるぞ。ただ、私はやらなかった。それで、検察は捕まえりゃあフニャフニャになるだろうと思って捕まえてみたらフニャフニャにならなかった。それで、外務省につなげるストーリーをつくれなかったんです。
元木 佐藤さんの一審判決が、執行猶予4年というのもおかしいと思うけど、あれほど大騒ぎした鈴木被告に、地場産業への1千万円の収賄でしか起訴できなかったし、一審判決でも、彼を巨悪と断罪することができなかった。この一連のストーリーの中で、種を蒔いて、刈り取って、その利益を享受した人たちはどういう人たちだったんですか?
佐藤 多分種を蒔いた人は刈り取れなかったんだと思います。一番利益を享受したのは、外務省のイデオロギッシュな親米主義者ですが、それは本当の親米じゃない。この人達は全然アメリカ人脈はないんです。ところが何かやるにも、アメリカを錦の御旗にしていれば、ものを考えないでいいからね。こういう人たちが、その成果を一番享受した結果どうなったかというと、外務省はキレイな水槽になって、誰も仕事をしなくなった。そして八方塞の今のような外交状況が生じてしまった。
元木 外務省は、ほとんど親米主義者に牛耳られているんでしょ。
佐藤 それは正しい。私を含めて親米派ですよ。冷戦の間は、親米主義というのは積極的なイデオロギーじゃなくて、共産主義というものに対するアンチテーゼだったんです。冷戦が終ったあとの親米主義っていうのは、私は有効性を喪失してると思うんです。みんなが軽く考えていますが、私はBSE問題というのは非常に重要だと思うんです。これはアメリカと日本の交渉文化の違いなんです。アメリカからすると、イラクへの多国籍軍への派兵というのは、これは明らかに憲法規範を超える重大な決断だと、そういうことに関してはすぐいうこと聞くのに、何でこんな小さなことでここまで頑強なんだと、わからない。日本からすると逆の論理があるんですよ。本筋を譲ったんだから、何でこんな問題を見過ごしてくれないのか。ただ、このケースは既にあるんです。かつてのオレンジ輸入問題と一緒。日本っていうのは、国際スタンダードじゃない。ただ、国際スタンダードじゃない方は負けるんです。負け戦なんです、このBSE問題は。
元木 話は変わりますが、佐藤さんが有罪になっても守りたかったものは、守れたんですか?
佐藤 まあ守れた部分もあるし、守れない部分もあります。ロシアスクールの情報の専門家は守ることはできた。これから五年かかるか一五年かかるかわからないけど、今後、その人たちが活躍する可能性が完全には奪われていない。その程度ですね。それ以外は、私が見る限り、全て悪い方向に変わりましたね。例えば、外務省の中で川口さんと竹内(?事務次官)さんが一緒になって「川口賞」というのを創ったんです。外務省の中で立派なことをした人を相互に推薦し合って賞を与える。一等賞になると何がもらえると思います? 赤いTシャツ(笑い)。こういうもので喜んで動くような官僚たちって何だと思います? 私には理解できないんですよ。これが目に見える形での外務省改革です。赤いTシャツに「5MOFA」、「Ministry Of Foreign Affair」って書いてある。
元木 笑えますね。佐藤さんはまだ外務相から離れていないんですよね。
佐藤 何で外務省の中に留まってるかというと、筋をキチンと通すということなんです。私をクビにするには聴聞会を開く必要があるんです。その聴聞会を、私はメディアに公開しますといっている。規則上できるんです。そこで、私を断罪する理由があればそれをいいなさい。それに対して反駁すると同時に、あなたたちがこれまでしてきたことを話し、それが全部メディアで流れるようにしようじゃないか。これを内容証明で出したら、何もいってこない。
  そしたら、外務省から人通じて、二つ恫喝がありました。一つは、これであなたの仲間になるような人も、敵になっちゃいますよというもの。私は「どうもありがとう。中途半端な仲間は要りません」と答えておいた。もう一つは、お前が可愛がっていた若い連中に手をつけるぞ。人事権はこっちにあるからなと。そういことを平気でするところまでモラルが落ちてます。
元木 外務省っていう役所の話じゃないみたいですね、
佐藤 役人というのは八九二でしょう。それに一数字を足すと八九三。大して変わらないですよ。お公家さん集団でしょう。公家の政治は陰険
ですからね。
元木 小泉首相の靖国参拝問題が、アジア諸国と様々な軋轢を起こしていますが、どうすればいいと考えますか?
佐藤 外交の世界で、シンボルを巡る争いになると妥協できないんです。一回これは行き着くところまで行く必要があると思う。靖国参拝に賛成か反対かっていう議論の立て方は意味がない。小泉さんは靖国へ行くと思います。それを前提で考えないといけない。そこでシンボルを巡る闘争の一番ピークを迎えるわけです。そこでの落し方ですよ。
元木 ありますか?
佐藤 あると思います。今の時点でやらないといけないのは、小泉さんが靖国に行くという前提の下で、最悪のシナリオと最良のシナリオの幅がどれぐらいなのか。日中開戦がありうるのか。大暴動が起きて、日本企業が焼き討ちされることがありうるか。そのことをキチンと小泉さんに伝えておくことです。その上で行動を取ってもらう。私は、中国の対応にも相当問題があると思うけど、ここまでゲームが進んで来たら、下ろすことはできないというのが外交の常識です。行くことによって失うものと、止めることによって失うものでは、止めることによって失うものの方が大きすぎる。中国はそこを冷静に認識してるかどうか。冷静に認識していれば、どこか落とし所が出てくるんです。ところが冷静に認識してないなら、外務省の一番中国側が信頼している中国担当者何人かに辞表を出させることです。そして、中国はこういった頑ななやり方を続けていると、窓口になる外交官は次々と死んでいきますよ。それを教えてやるのが一番効果があると思う。
元木
佐藤 アメリカが一九九九年五月にユーゴスラビアで誤爆事件を起こして、中国の大使館関係者が三人が死んだんです。そのとき、アメリカは何やったかというと、ハーバード大学の共和党系、民主党系を含め、全ての中国専門家を集めて一週間徹底的に討論をさせ、そのレポートをホワイトハウス、CIA、議会、国務省に提出させるんです。
  今回、日本でも、外務省と東京大学が共催でそうしたことをやればいいんです。ところが、私は絶対できないと思う。
元木 なぜなんですか?
佐藤 そのための予算ってありますか? ないんです。どこから持ってきます? 国際交流基金かなんかから持ってくるんですか。外務事務次官の決裁を経ても、二年後に背任でやられないという保障はありますか? 我々はお金の工夫をして、テルアビブの一級の学者たちを集めて会議をした。官邸も事務次官も、その時は高く評価してくれたのに、何年か経って、全部遊びという話になってしまった。それを外務省の官僚たちは見ているんですよ。中国のことでこれをやればいいと思っても、冒すリスクが大き過ぎる。左遷されるぐらいだったらいいけど、刑事責任を負わされて五百何十日も拘置されるかもしれない。それだったら誰もやらないですよ。これが僕の事件の一番の後遺症なんですよ。
元木 後遺症が癒えるのを待っていたら、間に合わないでしょう。
佐藤 間に合わないと、この国はなくなると思います。私はそういうふうにしてなくなった国を見てる。ソヴィエト社会主義共和国連邦ですよ。国家がなくなる時は半年でなくなる。あの国は、一九九一年の一月にリトアニアで起きたビルニュス事件というところからガタガタが始まった。その後、八月のクーデター未遂事件から坂を転げ落ちていったんです。国家が壊れる時は半年で壊れます。そうすると国民が不幸になる、これは間違いない。僕はモスクワ大学で教えてたんだけど、教え子で、共産党幹部の女子学生は、身体を売らないと授業料稼げないという状況にすぐになっちゃいました。国家なんてそんなものですよ。日本は、まだ客観的にみて、そこまでの状況にはいってない。しかし、いつそういうことになるかわからない、今の霞ヶ関の状況を見てるとそう思います。
元木 ありがとうございました。

夜、久しぶりに女性ポルノ作家ナンバーワンの丸茂ジュンさんと、新宿二丁目で呑む。
彼女、AVの監督まで始めた。原作を書き、俳優の出演交渉から監督まで、すべてこなしているというではないか。
彼女曰く「監督は一度やったらやめられない」とのこと。女優は一本80万円、それに比べて、男優は、日立て5万円だという。男のほうがなんぼか大変なのに、労働力に比して、報われない仕事のようだ。
6月8日
大正大学を終えて、新宿歌舞伎町へ向かう。ここの「ルノアール」で、個人情報保護法反対を一緒にしてきた「共同アピールの会」の人たちと久しぶりに会う。
吉岡忍さんや吉田司さんたちと始めている、「国民投票法案」反対運動への理解と賛同を得たいというのが、今回の趣旨だ。
30人近くが集まってくれたが、吉田司さんの提案に、あちこちから質問やら反論、自説を延々と語る人など、侃々諤々、大騒ぎ。
結局、そこでは終わらず、居酒屋に席を移して、意見交換。
おまえたちのやることに反対しているわけではないから、がんがんやれと、励まし、叱咤を、サッカーの北朝鮮戦の大騒ぎの中で、かろうじてもらった。
いよいよ、船出するばかりだが、前途はまだまだ、視界霧深しか。
6月9日
「日刊ゲンダイ」の二木啓孝さんや「世界」の岡本厚さんたちと、7月4日の「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」PART2の打ち合わせ。
この後、講談社の加藤晴之さんの骨折りで、元北海道警察のOBで「警察内部告発者」を書いた、原田宏二さんも参加してくれることになった。
有意義な会にしたいものだ。
6月10日
上智大学の講義で、インタビューの報告を聞く。鳥越俊太郎さんをインタビューした班からは、鳥越さんが、「いま僕はニュースの職人だが、ニュースの匠を目指して頑張る」といったという。いい話だ。
「ニュースの職人」。鳥越俊太郎さんを一言で表すのなら、この言葉が1番ふさわしい。毎日新聞、テヘラン特派員、サンデー毎日の編集長を経て、同社を退職後、1989年より『ザ・スクープ』のキャスターとして活躍し、現在は『スーパーモーニング』のコメンテーターを務めている鳥越さんだが、ご自身のことをキャスターともジャーナリストとも呼ばない。では、では鳥越さんの言う「ニュースの職人」とはどのような人のことを指すのであろうか。
学生のインタビュー原稿。「この質問を問いかけたときに、鳥越さんは『ジャーナリズム』という語源から説明して下さった。アメリカにおいて1年間の留学経験がある鳥越さんは、この言葉にあてはまる日本語が見つからないことに気がついた。なぜなら、ジャーナリズムは欧米で長年の時間をかけられて形成されてきたものだからだ。大量の情報を伝達することを主たる目的にし、取材方法、取材態度、原稿の書き方、伝え方、幅広い知識や倫理などのルールも含むものが「ジャーナリズム」の本来の意味である。そして、その精神を身につけ、利益よりも真実の追究を優先する人をヨーロッパやアメリカではジャーナリストと呼ぶ。
「情報は心の栄養素である」と、鳥越さんは断言する。人間が生きていくために栄養を摂らないと肉体を維持することができないことと同様に、心にも栄養を与えなくてはならない。それが情報である。この場合、情報とは知識、常識、歴史、政治、広告、冗談など、この世に存在するあらゆるものから形成される。仮に、心を維持していくために情報がなかったら、人間は言葉やコミュニケーション能力を失って社会的に生きていけなくなってしまうだろう。情報化社会と呼ばれる現代社会では、おびただしい量の情報が発せられる中で、私たちは一つ一つの情報を処理するために十分な時間をとることは難しい。受け手の人が情報を正確に理解できるように、取材し、原稿にして、VTRにまとめ、人々に伝えやすいように加工し、届けることこそがニュースの職人の役目である」
今日の上智大学の講義に、講談社の「STYLE(スタイル)」編集長、並河恵里さんに来てもらう。並河さんは「東京1週間」の奈良原編集長と並んで講談社の名女性編集長なのだ。
容姿端麗だが、話の内容はかなり過激だ。
こういう編集長がいる限り、講談社に可能性はあるとみたい。  
終わって、横浜へ。
嵐山光三郎さんの友人で、サックスの第一人者、中村誠一さんとニューヨークで活躍している伊東忍さんが、横浜の「MotionBlue(モーションブルー)」でジャズ・セッションをやった。
伊東さんは'51年神奈川県生まれで、ウエス・モンゴメリーを聴きジャズギターに興味をもつ。'77年にニューヨークへ移り、'91年「セーリング・ローリング」(日本クラウン)を発表する。
生憎の雨だったが、赤煉瓦の建物の中にある店はお洒落で、雰囲気がとってもいいジャズ・クラブだった。
終わってから、中村誠一さん家族と、彼の行きつけのクラブへ。21歳になる中村さんの娘さんはジャズシンガーで、数曲聴かせてくれたが、とっても素敵な声だった。いい歌手になりますよ、中村さん。
雨もまたよし、そう思える晩だった。
6月11日
夕方、医療コンサルタントの川原邦彦さんの葬儀が増上寺であったので、参列。66歳での死は、いくら何でも早すぎる。
笑い顔が素敵だった川原さんの写真に手を合わせ、「ありがとうございました」と、生前の厚情に感謝した。
6月13日
小社(三推社)発行の「間違いだらけのゴルフクラブ選び2005年〜2006年」が発売になったのを機に、講談社の26階で、この本で選ばれた各グランプリ、優秀クラブメーカーの表彰式が行われた。
今年は、イオンスポーツのドライバー「GIGA XF400」がドライバー部門のグランプリを受賞。プロゴルファーでこの本の著者の岩間建二郎さんが、「これはいいよ。元木さんのようにスライサーでも、まっすぐ飛ぶよ」といってくれる。ド・スライサーの私にはのどから手が出るほどほしいクラブだ。
二年前にグランプリに輝いた「マクレガーのNAVI2」を愛用しているが、毎年出てくる、クラブの進化には驚くばかりだ。
Sヤードが出たときもビックリしたが、何度か使っているうちに、自分の打ち方にクラブを合わせてしまうから、最初はまっすぐに飛ぶのだが、やがて元のド・スライサーに戻ってしまう。
今回のイオンのドライバーはどうだろうか。それにしても、クラブの値段って高すぎないか? アイアン部門がマルマンの「エキスムNANOU」、ユーティリティー部門のグランプリは、マクレガーの「マックテックNVGフェアウェーウッド」だった。
夜、講談社某役員氏と赤坂で懇談。
6月14日
朝10時から、法政大学の学生たち5人と、作家の奥田英朗さんのインタビューについて打ち合わせ。
インタビュー時間には遅れない。したがって20分前には到着していること。事前にインタビューの場所を見ておくこと。安くて、気の利いた手土産を買うこと。テープをとる、写真を撮ることを忘れない。
インタビューのテーマは三本ぐらい考えておくこと。インタビューの想定問答をつくっておくこと。などなど、話しをする。
夜、「週刊現代」の記者の松田賢弥さんと懇談。
6月15日
版画家の山本容子さんと赤坂で会食。山本さんは、この春、二度目の結婚をした。
10年近く一緒に暮らしたU氏とは籍を入れていなかったが、今回は入籍した。
こんな才色兼備の女性に傅かれて、その男性は、男冥利に尽きることだろうな。
笑顔の素敵な山本さんの笑顔が、ますます輝いて見える。
6月17日
夜、小社から出させてもらった横山康博弁護士の「トラブルに勝つ!クルマ法律相談」出版お祝の会が開かれた。
豊田勝則さんの呼びかけで、少人数だが温かな楽しい会になった。ビールで始り、日本酒、焼酎、ワインなど脈絡なく浴びるように呑む。
何を話したかわからないが、ワイワイガヤガヤの夜は更けていった。
6月18日
東北電力の今野昭さんたちとの懇親ゴルフから帰って、「東京スポーツ」の原稿を書く。深夜2時、脱稿。 
6月20日
西武線の秋津へ。乙骨正生さんのやっているFMで「週刊誌評」をしゃべる。
ABC調査。2004年下半期。「週刊文春」が第一位。第二位に「週刊新潮」がつけた。久しぶりだそうだ。「週刊現代」が三位で、とうとう 「週刊ポスト」が四位に転落。
佐藤優氏の話。小泉さんは靖国へ行く。それを前提に、外務省は最悪のシナリオと被害が最小のシナリオを調べて、小泉に提出するべきだ。
併し、いまの外務省にはそういったことが出来はしない。彼のように、官邸も次官も了解していたことが、数年経ったら「国策捜査」で逮捕されてしまうんだったら、何もしないほうがいいという、空気が蔓延してしまっている。
若貴の兄弟げんかは貴乃花の負けだろう。
品格のない横綱だったが、最近は、品性もなくなっている、などなど30分しゃべる。
6月23日
山脇智志さん来社。彼がやっている音声配信がいよいよ8月1日から始まるという。HP名は「音棚(おとだな)ドットcom」だそうだ。印象に残るいい名前だ。
i-Podのi-tuneは9月ぐらいから日本で稼働するそうだ。1曲150円になりそうだ。ソニーとの話し合いがこじれているそうだが、見切り発車するのではないか。これは、山脇情報。音楽、音声配信が日本でも本格的に動き出す。
それにしても、SONYという会社は後手後手の、ただのビッグ・カンパニーに成り下がってしまったものだ。
書籍専用携帯端末「リブリエ」は、ハードメーカー主導だから、使い勝手もイマイチだし、値段も高いから、予想通り売れ行きは伸びていないようだ。ハードが売れなくては、講談社などが参加してつくった「パブリッシングリンク」のコンテンツが売れるわけはない。
内容が充実してきただけに、SONY一社だけではなく、携帯電話でも、他の携帯端末からでも買えて、読めるものにしていかないと、出版のデジタル化はまだまだ遠い。 

 

#65 【緊急発言】選挙の争点は小泉政治に「ノーかイエスか」

05.08.29 up

 いよいよ明日から総選挙に突入する。郵政民営化法案が参議院で否決されたから、国民の信を問うために衆議院を解散するなど、普通の神経ならば考えられないことだが、「変人」小泉首相なればこその仰天解散が幕開けだった。
「郵政民営化の是非を問う」選挙だと小泉首相は言い張っているが、国民の関心はそのようなところにはない。新聞などのアンケートでは、「年金」問題が一番の関心事だ。当然のことである。
  国民の関心を無理矢理向けようと、郵政法案に反対した前自民党候補のところに「刺客」を差し向けるなど「ヤクザ」まがいのやり方で、前哨戦は話題勝ちのようだが、こんな茶番が長続きするわけはない。「自爆解散」「見せ物小屋選挙」など、今回の選挙への形容詞はいくつもつけられている。朝のワイドショーまでが、各党の責任者を集めてきて、言いっぱなし怒鳴り合いの「政治ショー」を組んでいるが、いくら聞いても、今回の争点は何なのか、さっぱりわからない。
  これからの国を託す政党を選択する選挙などと、民主党は気張るが、ほとんどの国民は、民主党にそんな力が無いことは十分に知っている。
  自民党に飽き飽きして、小泉首相の顔も見たくないと思っている国民は、私を含めて多いはずだが、だからといって、その票の多くが民主党へ流れはしない。
  テレビへの露出が多くなった岡田民主党代表の自信のない表情が、それを物語っている。 それでも民主党が、多くの無党派層の票をまとめることはできたはずだ。それは、これから始るサラリーマンをターゲットにした「大増税」を死んでも阻止すると高らかに謳えばいいのだ。弱いもの虐め、とりやすいところから税を召し上げる増税システムを、空前の好景気だと騒いでいる大企業や、我々の血税を吸い取って、不良債権処理は着々と進んでいますと、「蛙の面にションベン」の大銀行、アブクのようなIT長者たちからも「平等」に収入に応じて徴収すればいいのだ。
  案の定、大都市部で民主党離れが起きている。「改革」「改革」と何かの一つ覚えのように連呼して、改革の中身などほとんど説明しない小泉一人に、浮き足立ってしまっているのでは、千載一遇の好機を生かせず、単独過半数など夢のまた夢になるだろう。
  今回の選挙の争点は一つしかないのだ。「小泉政治」にノーというのか、しかたないが余人がいないのだから「ま、いいか」という消極的イエスなのかを選択する選挙なのだ。
  国民に信を問わず、なし崩し的にイラクへ自衛隊を派遣して、国民をテロの恐怖に晒した。唐突に北朝鮮を訪れ、国交正常化を急いだため、数人の拉致被害者は帰国できたが、以前より両国間の対立を深刻化させてしまった。毎年くり返す「靖国神社公式参拝」は中国・韓国の反日熱を嫌が上でも燃え上がらせ、戦後最大と思われる「外交上の危機」を招いてしまっている。これ以外にも、経済政策や道路公団民営化のお粗末さなどあるが、言及するまでもないだろう。
  その上、自分がごり押ししようとした「郵政民営化法案」が参議院で否決されたから、衆議院を解散し、反対した議員のところに、その土地とは縁もゆかりもない人間を落下傘で公認候補として送り込み、自民党全員を「自分のイエスマン」にするというのでは、民主主義という概念をわかっていないといわれてもしかたないのではないか。
  民主党や小泉から切り捨てられた前自民党議員たちと他の野党は、声と力を合わせて、「小泉流独裁政治にノーと言おう!」「ストップ・ザ・小泉」で結束するべきなのだ。
  自分の意見に従わない奴はすべて抹殺してはばからない手法が、今回、万が一、国民多数の支持を受けたならば、選挙後に、彼の言動をチェックする何ものも存在しないことになるのである。
  憲法改正はもちろんのこと、徴兵制を敷き、アメリカと組んで世界制覇に乗り出すやもしれない。そのとき、それに反対する国民も、政治家も、投獄されるのは必定だろう。  そんなバカなことがと思うかもしれない。しかし、「靖国公式参拝」「イラク派兵」「自分が進めてきた法案が否定されたから解散」などなど、小泉首相の言動は、一寸先は真っ暗闇で、常識は通用しないのだ。 
  小泉首相は織田信長が好きなようだ。戦国時代の英雄信長は、桶狭間で、自軍の10倍を超える大軍を率いた今川義元と戦い、奇跡的に勝利を収めた。自民党という大軍と孤立無援の戦いをしている自らを信長に重ね合わせて、「死ぬは一定」と、最後の賭に打って出たのかもしれない。
  桶狭間以来、天下人への道を着々と上がっているように見えた信長も、天能寺で臣下の明智光秀に謀反を起こされ無念の死を迎える。
  小泉さんの脳裏には、自分の野望を阻まれ、捨て身の勝負に出たが、国民の世論という大軍の前に、矢折れ刀尽き、静かに舞台を去っていく姿も見えているのではないか。そう覚悟しているならば、希代の英雄に憧れた政治家に引導を渡し、一時代の終わりを見届けてあげようではないか。
  もう一つ、気になる記事が出ていたので書いておきたい。総務省によると、公職選挙法では公示日から投票日までは、選挙運動として使える媒体をはがきやポスターなどの「文書図画」に限定して、ブログなどを開設したり更新したりすることは選挙違反になる可能性が高いという。
  今日の朝日新聞の「天声人語」でもこう書いている。
「(中略)ところが今夜、ピタリと止まる政治の動きがある。正確に言えば、30日午前0時をもって、公職選挙法によって『動かすな』と言われる。インターネットでの運動だ。候補者のホームページは更新が禁じられる。活動報告のメールマガジンも配信できない。投票依頼の電話がかけ放題なのとは対照的だ。金権選挙を防ぐための法律が、膨大な情報を速く安く伝える手段を封じている。
  米国ではネット選挙が当たり前だ。昨年の大統領選では『ブロガー』が注目された。ネット上に個人的な書き込み『ウェブログ(weblog)』を載せる人たちで、共和、民主両党の大会にも招かれた。討論会でブッシュ大統領の背中が膨らんでいた『無線機疑惑』も、彼らが情報源だった。
(中略)公約の解説や候補者の選挙中の本音がネットで読めれば面白い。有権者が探して見に行くので受け身でない選挙体験にもなろう。『あと一歩、最後のお願いです』なんて絶叫もメールならうるさくない」
  憲法改正のための手続き法「国民投票法案」は、投票期間中はメディアの論評や予測はもちろん、市民たちの集会や評論の自由も奪ってしまう、とんでもない法律である。この法案の下敷きになっているのが公職選挙法である。
  世界的に市民の発言ツールとなりつつあるインターネットや、それを使って個人が情報発信したり意見表明できるブログが、この日本では「規制」の対象になりつつあるのだ。
  今回は、個人のブログなどはだいじょうぶだと思うが、「もしや」のことを考えて、日にちを飛ばし、「緊急発言」として、今回の選挙に対する私の考え方を書いてみた。
  万が一、この「編集者的日乗」が規制の対象になったら、この国は本当の真っ暗闇になる。