魚住 昭 (うおずみ あきら)
一九五一年熊本県生まれ 七五年一橋大学法学部卒業 共同通信社入社 八七年から司法記者クラブに在籍してリクルート事件などの取材にあたる 九六年退社 著書に『渡邊恒雄 メディアと権力』(講談社文庫)『特捜検察の闇』(文春文庫)『特捜検察』(岩波新書)など 昨年『野中広務 差別と権力』(講談社)で講談社ノンフィクション賞受賞

「客観報道主義」は建前にすぎず

当局依存報道で荒廃したマスコミ

楯突くものは容赦なくひっくくる「翼賛」司法がまかり通る

 巨悪を眠らせないと豪語していた司法が、国民に牙を向け始めている。
  市民団体のメンバーが、自衛隊のイラク派遣反対のビラを自衛隊官舎に配っただけで逮捕され、七十五日間も拘留された。そのメンバーに無罪判決が出た直後、今度は、共産党の「都議会報告」などのビラをマンションの新聞受けに配布していた [ 飾の 僧侶が逮捕された。
  職場の同僚を組合から脱退、退職させた強要容疑でJR東日本労組員七人が逮捕されたが、同僚ばかりでなく市民団体までが「冤(えん)罪」だと告発し、完全無罪・職場復帰を求める動きが大きくなっている。
  牙は身内にも向けられている。
  検察の調査活動費の不正を告発しようとしていた三井環・元大阪高検公安部長が直前に逮捕された。愛媛県警の不正経理を現職として初めて内部告発した巡査部長が不当配転された。
「国家の番犬」であるはずの彼らが主従逆転して三権分立をないがしろにし、検察・裁判所・警察が三位一体化して、自分らに楯突くものは容赦なくひっくくる「翼賛」司法が罷り通っているのだ。
  彼らの意図するところは、自民党など与党の企む流れに棹さすことだと指摘しても、そう的はずれではあるまい。司法は防犯の名のもとに国民一人一人を監視し、「住民の安全」を守るという名目で微罪逮捕し、自由な言論を封殺していく。
  この危険な流れをチェックし、食い止められるのは、メディアしかないのだが、「そこにいる人たちが何の危機感も持っていない」と、司法に詳しいノンフィクション作家の魚住昭氏は憤激する。いまそこにある重大な危機を語り合った。

元木 二月十四日に「おかしいぞ! 警察・検察・裁判所」というシンポジウムをやりましたね。私も呼びかけ人の一人だったのですが、野暮用があっていけませんでした。当日は大盛況だったらしいですね。

魚住 あの種の集会で、そんなに宣伝もしていないのに大勢集って、ビックリしました。やっぱり僕らだけじゃなくて、普通の生活をしている人たちにも、そういう危機感を思ってらっしゃる方は多いんだなぁって驚きました。

 立川のビラまき逮捕や [ 飾の件、三井さんの口封じ逮捕にしても、目に余りますよ。僕が司法記者をやっていたのは数年前ですけど、そのころに比べると、警察・検察というのは明らかに妙な方向に突っ走ってますよね。

元木 いつごろから変わってきたんですか?

魚住 たぶんオウムのころからですね。駐車場に入った信者が住居侵入容疑で逮捕されたり、鉛筆削り用のナイフを持っていた信者が銃刀法違反で、「微罪逮捕」っていうのをやり出しましたが、マスコミは批判しなかった。批判できなかった弱さがずっと続いてきて、こうなってしまっている。

元木 われわれは司法に対して幻想を持ちすぎてきたのかもしれない。田中角栄や金丸信逮捕にみられるように、巨悪を眠らせないという司法の正義に期待するところがあったと思う。しかし、そのころの司法は、まだ「権力の番犬」で、自民党の権力構造を壊すような処までは手を突っ込まないで、そのギリギリの処で寸止めしていました。

魚住 検察だけをみると、金丸脱税事件というのが一つの大きな分かれ目でした。それまで検察には、上に自民党という重石が乗っかっていました。ロッキード事件で田中を逮捕して以来、旧田中派対検察の対立構図というのがずっとあった。逮捕後、田中があんなに勢力を拡大するなんて思わなかった。だから、政界と検察の緊張関係があったんです。

 それが金丸脱税事件を機に自民党が分裂して連立時代に入っていきます。それをきっかけにして自民党の力は相対的に落ちていって、検察のほうが優位に立つんですよ。そこから、簡単にいうと、検察を含めた司法がやりたい放題になってしまう。

法曹三者が一体では「大翼賛体制化」の危険

元木 三権分立が崩れ、司法の翼賛体制化が始まっているんですね。

魚住 検察は、政治家を逮捕することで庶民の喝采を得て、その権力をどんどん拡大していた。検察のOBが金融庁の長官になったり、公取の委員長になったりしました。そうした状況になって、それまで慎重にやってきた捜査の質が落ちていくんです。

 政界事件に限っていえば。鈴木宗男(元衆議院議員)事件なんて、「やまりん」っていう木材業者から政治献金として届け出ている四、五百万円の金を斡旋収賄だと、逮捕している。それまでの検察の常識からいえば、まず斡旋収賄なんか使わないですよ。この金額で、しかも政治献金として届け出ているやつを賄賂だなんていうやり方もしない。

 辻元清美のときもそうです。あれは形式的には詐欺になるけれど、自分の懐に入れているわけじゃないから、立件しないし、いわんや逮捕なんかしないというのが、それまでの捜査の常識だったわけです。大蔵省の接待汚職も、高級官僚を接待で立件するのは、あれが初めてですよ。それまでは接待だけではやらないという暗黙の了解があったのに、それをある日、突然、覆すわけです。

元木 何をやっても批判されない。マスコミはむしろ、よくやったと手を叩く。その分だけ検察は肥大化していって、その一つの行き着く所が、「三井環逮捕」なんですね。

魚住 あれは、自分が購入したマンションに住んでいないにもかかわらず、住んでいると偽って届け出をして、登録免許税にかかる四十数万円をだまし取ったという微罪です。仮にこれが事実だったとしても、不動産業界ではごく一般的に行われていることです。再逮捕の収賄容疑も、接待総額が二十何万円にしかならんわけです。こんなもの、高級官僚を逮捕するような容疑じゃないですよ。何をやっても批判されないという検察の思い上がりが、検察の調査活動費を告発する人間の口を封じるために逮捕するというところまで行ってしまった。

 結局、悪いのは誰かっていうと、マスコミなんです。僕も含めて、ものすごい責任がある。検察が巨悪を摘発するというので、無条件に拍手喝采してしまった。そのツケが今、きているわけです。

 それから、裁判所が検察のやり方をどんどん追認していくということがあります。逮捕状を持ってくれば、ろくに審査もしないで自動販売機みたいに出してしまう。勾留請求が出れば、ほとんど全部認める。容疑者・被告が否認すれば、いつまでも釈放しない。

元木 裁判では、裁判官、検察官と、被告の弁護人がいる。検察官と弁護側が双方の言い分を言い争って、それを裁判官が判断します。そうすると、今の裁判は、この三角形が成立しないわけですね。

魚住 一言でいうと、法曹三者が一体となって「大翼賛体制化」しているわけです。そこが今の司法の、一番の問題点ですよね。

 たまたま、立川のビラまきでは無罪判決が出たけど、今度、高裁では分かりませんよ。東京高裁には、検察寄りの判断をする裁判官がゴロゴロいますから、すぐにひっくり返されるかもしれない。

安全神話を崩壊させた警察の戦略大転換

元木 司法ファッショを食い止める手だてはないですか?

魚住 法律の文言って極めて抽象的なんです。だから運用次第でいくらでも広げられる。これまで極端な運用をされなかったのは、みんながそれなりの良識を持っていて「ブレーキ」をかけていたわけです。そこが全部、取っ払われちゃった。なぜ取っ払われたかというと、マスコミの責任もありますが、一般大衆の意識もやっぱり変わってきています。

 この間、取材である人をマンションの前でずっと待っていた。そしたら、そこの管理人が、僕の風情が怪しかったのかもしれませんけど(笑い)、すぐにも警察に電話しかねない感じでした。管理人の行動というのは住民の意識を反映しているわけですから、これは住民たちの意識が極めて内向きになってきていることの反映ですよ。自分たちのテリトリーだけは安全を絶対確保しなきゃいけない、というセキュリティー意識がものすごく強くなっていますね。かつては、そういう私的な領域と公共的な領域の間には、かなりフレキシブルな部分があった。それが今は、中間の「グレーゾーン」がなくなってしまった。「凶悪犯罪が増えてる」とか、「外国人に気をつけろ」だとか、警察にいっぱい悪いデータを吹き込まれていますからね。

元木 防犯の名目で、あちこちに監視カメラを設置していく。住宅街だってどこだってお構いなしなのに、それに反対するという声が大きくなってきませんね。その辺も、警察に“洗脳”されていると思いますが。

魚住 『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店刊)の著者の河合幹雄著さんは、犯罪が凶悪化してる、犯罪が多発してるとか、検挙率が落ちてるといわれるけれど、よくみてみると、これは単に統計の取り方の違いで、「体感治安」という体で感じる治安の悪さと、実感はかけ離れているのだと言っていますが、そのとおりだと思います。

 オウム事件のころまでは、安全神話を守ることが警察の誇りなんだというイメージをつくることに腐心していた警察官僚が、あのあたりから逆に、その神話を崩したほうが自分たちのためになることに気付いたんじゃないか。何しろオウム事件で助かったのは、公安調査庁や公安警察ですよ。「危ないぞ、危ないぞ」って言っておけば、住民たちは警察に頼ってくるわけですからね。下種(げす)の勘ぐりかもしれませんが、そこで、警察戦略の一大転換が行われたんじゃないですか。

元木 検察の調活(調査活動)費というのは、もともと公安対策の費用ですから、仕事がないから裏金化していったんですね。

 これはうがった見方かもしれないけど、小泉首相が中国との関係を改善しないのは、中国との緊張関係を持っていたほうが、有事法制やイラク派兵、最終的には憲法改正をするにはいいという、小泉が考えているとは思えませんが、深謀遠慮があるのではないか。これは公安的なやり方ですよね。

魚住 そうです。小泉政権のやっていることはデタラメです。ただ、はっきりしているのは、意図的な狙いがあるということです。例えば、北朝鮮の不審船事件というのが、一九九九年と二〇〇一年に二回起きていますね。一回目のときにガイドライン法案が通っている。二回目が起きたのが有事法制の直前です。あれを見たって一目瞭然です。不審船なんて戦後間もなくから、いっぱい日本海に出没してますよ。それなのに、わざわざフレームアップする。今まで放っておいたやつを突然、追っかけまわして、海上警備行動を発令する。仕組んだのは防衛庁なのか誰なのか知りませんけど、あれは明らかに、日本の国防意識を高めて法案を通りやすくしている。

 そういうことにマスコミはなんの反応もしないし、向こうの意図どおり、場合によっては意図以上にやってくれるという構造がありますからね。日本中で一番荒廃し、機能低下しているのはマスコミではないかとさえ思います。

元木 魚住さんもかつては記者クラブにいたわけだけれど、なぜこんなふうにダメになってしまったのですか。

魚住 日本の新聞は「客観報道主義」が建前ですけど、実際に記事を書いている現場の感覚でいうと、これはほとんど当局依存報道なんです。つまり、交通事故があった時、いつどこで、どの車とどの車がぶつかって何人死んだと書いて、その後に、「何々署の調べによると」って必ず出てきますね。要するにこの書き方は、記者に自分では考えるなと言っていることです。新聞社としては当局の判断が大事なんだから、記者は当局がどう見ているかを取材して来いといわれるわけです。そういう思想ですべて貫かれていますから、報道する側の記者個人の判断とか、個人の思想とか主体性というのは問われない構造になっている。

 それと「記者クラブ制度」がありますから、そこにいれば、当局からの情報が常に入ってくる。そこでは常に官庁情報のシャワーに曝されていて、他の情報がなかなか入ってこない。僕なんか典型的にそうでしたけれど、そこに長いこといると必然的に官庁の人間の発想を身につけていくわけです。事件でいえば、捜査する側と捜査される側の両方を取材して判断しなければいけないのですが、情報量が圧倒的に警察のほうが多いから、どうしても見方は捜査側になっていくのです。

記者クラブにいると目がくらむようになる

元木 都合の悪い情報は開示しないですしね。

魚住 捜査当局が情報をコントロールする。他の官庁でも一緒です。しかも記者たちは、記者になった時からそういう世界にいるから、おかしいということになかなか気づかない。僕みたいに、外に出てフリーになって、そこからかつての自分を見ると、「ああ、ダメだったなぁ」と思うわけですよ。僕も中にいる時は、記者クラブ批判をいっぱい聞いてましたけど、全然ピンとこなかった。今考えてみると、結局、自分は自由に飛び回って取材していると思っていたのが、実は、お釈迦様の手の平の上にいたんですよ(笑い)。

 最近、一番典型的な例が、オウム現・元信者四人を国松(孝次・警察庁)長官狙撃容疑で逮捕しましたけど、結局、不起訴になった。あれは容疑の組み立て方がおかしいんですよ。ところが、警視庁の公安担当の記者たちにはそれが分からないから、公安が言うとおり、リークされたとおりに記事を書いてしまう。目がくらむんですよ。

 僕も警察の記者クラブで仕事してたから分かるんですが、記者というのは、ネタもとに無意識のうちにすり寄っていくんですよ。

 それと、戦後六十年を経て、戦後民主主義が完全に崩壊してしまった。憲法が謳った理念が失われ、個人の自由や表現の自由といった基本的な理念が何ものにも代えがたいものなんだという認識がなくなってきてしまった。それはマスコミ人でも同じで、ある種の「転向」現象が起きているんです。かつては「権力の横暴をチェックするのが新聞記者だ」っていうブレーキがあったわけですが、今はそのブレーキがきかないんですよ。

元木 ファッショっていう言い方は嫌いだけど、それに近いものがありますね。三権分立があるのに、司法だけが突出してきている。

魚住 そういう意味で、僕自身は極めて強い危機感を持っています。やっぱり最終的には戦争へ行くだろうと思う。かつてと全く同一ではありませんけれど、あらゆるベクトルがそこへ向かっています。ナショナリズムの高揚、司法の機能の劣化の中で、治安意識、国防意識だけが高まっていっている。なのに、新聞記者たちの権力批判機能がどんどん落ちていっている状況では、そこへ行くしかないような気がしてます。しかし、そうならないように軌道修正をする時間的な余裕はまだあると思う。例えば、僕がかなり強烈な検察批判をしても、それを載せてくれる雑誌はありますからね。僕自身が恐怖感でものを言えなくなっているということはまだないから、最悪の事態を回避する余地というのはあると思っています。

元木 今、一番危険なことは、日本人全体が、「自分たちが」不幸であるということを見失っていることだと思います。これからも警鐘を鳴らし続けてください。ありがとうございました。

 

今月の同行者/魚住 昭氏(ノンフィクションライター)